ブログ内検索

読込中...

最新記事

クリスチャントゥデイ問題

統一教会系の異端カルトとして疑惑が持たれている「クリスチャントゥデイ」についての、当ブログの追及記事です。


2008年7月12日

対井出北斗駁論全八回

これは、クリスチャントゥデイの井出北斗記者がブログ「ネヘミヤアーカイヴズ」で行なった八提題に対する山谷の回応である。




第一駁論

井出提題「はじめに—山谷氏がこれまで受けてきた評価」

参照 http://nehemiaharchives.blogspot.com/2008/06/blog-post_05.html

山谷回応

井出君。あなたはわたしが「常習的に他者を中傷していた」と非難している。そして、その前例として、「ハリポタ論争」と「再建主義論争」を挙げている。

わたしには、まったく理解できないことだが、「ハリポタ論争」におけるわたしの主張のどこが、他者への中傷なのか?

わたしは「冗談新聞『オニオン』の記事を真に受けてローリング女史を誹謗中傷するのはよしなさい。それに、『オニオン』を真に受けてニュースレターを書いているメイヤー牧師は、イルミナティ陰謀論者ですよ。ハリポタを読むのと、陰謀本を読むのと、どちらが子どもの教育に悪いと思いますか?」と述べたのに過ぎない。

この主張の、いったいどこが、他者への中傷なのか? 井出君の詳細なる意見をうかがいたいものだ!

さらに、わたしには、まったく理解できないことだが、「再建主義論争」におけるわたしの主張のどこが、他者への中傷なのか?

わたしは「諸国の法を廃して、司法律法を現代社会に適用せよ、などと言う輩は、公共の福祉の敵であり、馬鹿者だ」というジャン・カルヴァンの『キリスト教綱要』の主張を、表現をやわらかく、オブラートに包んで、しかし、徹底的に詳細に論じたに過ぎない。

この主張が、他者への中傷だと批判されるのであれば、論理的に言って、カルヴァンこそがサイバーテロリストということになる。 井出君には『キリスト教綱要』と「ウェストミンスター信仰告白」を読んでもらった上で、意見をうかがいたいものだ!

以上の反論にもとづいて、わたしは井出記者に、次のことを尋ねる。

第一 きみは、冗談新聞『オニオン』の記事を真に受けて論評してしまうナイーブさについて、自称ジャーナリストとして、どう思っているのか?

第二 きみは、児童文学『ハリーポッター』を、自称ジャーナリストとして、どう評価しているのか?

第三 きみは、「イルミナティ陰謀論」の世界を、自称ジャーナリストとして、どう評価しているのか?

第四 きみは、「諸国の法を廃して、司法律法を現代社会に適用せよ」という再建主義に、心底同調しているのか?

第五 きみは、『キリスト教綱要』と「ウェストミンスター信仰告白」を読んだことがあるのか? 確かきみは、ウェストミンスター信仰告白を信条として掲げる日本キリスト教長老教会「東京ソフィア教会」に出席していたことがあるはずだが?


潔い答えを待っている。




第二駁論

井出提題「根田祥一氏の関与 止めると言った山谷氏が引き止められ…」

参照 http://nehemiaharchives.blogspot.com/2008/06/blog-post_7136.html

山谷回応

井出君。これまで何度も言ってきたことだが、今回の異端カルト疑惑の追及は、わたしが自己の宗教的信念に基づいて100パーセント主体的に行って来たことだ。誰かから指図されたり、背後の勢力からシナリオを渡されたりということは皆無である。わたしは信仰者の良心にかけて、このことが、偽りのない真実であると断言する。たとえ告訴され、逮捕拘留され、社会的生命が断たれる状況に追い込まれても、わたしの立場は変わらない。なぜなら、わたしはダビデアンと違って、自分の良心を偽ることが出来ないからだ!

井出君。きみは、クリスチャントゥデイが日本の教界でうまくやれなかったのは、守旧勢力が市場の独占を狙ったからだ、と主張している。きみのこの考えはまったく見当外れだ。きみたちが嘘をついて正体を隠そうとしたこと。ダビデ張在亨の統一教会前歴について納得行く説明が出来なかったこと。きみたちの嘘が露呈したこと。これが、クリスチャントゥデイが不審に思われた原因のすべてだ。嘘をつけば信用取引が出来なくなるのは、市場の鉄則である。

井出君。きみが特に失敗したのは、ダビデ張の統一教会前歴を言い逃れようとしたことだ。1800双、学舎長、巡回伝道団団長、国際基督学生連合事務局長、鮮文大学設立功労者、鮮文大学組織神学教授。こういう前歴を持つ人間について、きみたちは「ダビデ張在亨は統一信仰を持ったことが一度もない。本人がそう言っているからだ」と言い抜けようとした。きみがダビデアンとしてそう主張するなら、わたしは納得できる。その場合、きみが言ったことは、きみがダビデ張を盲信している証拠となる。だが自称とは言え、きみはジャーナリストだ。読者を納得させる客観性の保障は、ジャーナリストにとって命ではないか。ところがきみは、高柳や矢田と一緒になって、客観性を放棄し、信仰による飛躍をするよう、わたしに求めた。

ダビデ張については、彼がいよいよ信用できない人物であることが明らかとなっている。彼は現在、自分が牧師按手を受けたのは1997年6月だったと言っている。だがすでに1992年10月30日の時点で彼が「基督教大韓監理会」の牧師であったことがわかっている。しかも、彼が韓国基督教総連合会(CCK)に提出した最初の履歴書では、1992年10月に「大韓イエス教長老会」で牧師按手を受けた、と書かれているのだ。

井出君。いったいこのダビデ張という人間は何者だ? メソジスト派で按手を受けたのか? カルヴァン派で按手を受けたのか? 1992年に按手を受けたのか? 1997年に按手を受けたのか? 牧師が、自分の受けた按手礼が、いつだったか、どこからだったか、はっきりしない、ということなど、絶対にあり得ない。この疑惑ひとつ取っても、わたしはダビデ張を人間として全く信用に値しないとみている。そういう人物が言うことを盲信するなど、わたしには出来ないことだ。それは、きみが本物のジャーナリストなら理解できるはずだ。

きみはまた、わたしが異端カルト疑惑の追及を過去に二度止めたが、そのたびに、何者かに引き戻されたと言っている。

はっきり言うが、引き戻したのは、きみたちだよ!

最初わたしが追及を断念したのは、2ちゃんねるでわたしの所属教団が攻撃され始めたときだ。あのとき、高柳と太田少佐の間で紳士協定が結ばれ、双方が2ちゃんねるへの書き込みを停止する約束をした。その時点ですでに、わたしは自分のブログでの追及を止めていたし、関連記事も削除していたから、2ちゃんねるで共闘してくれている友人たちに、書き込みの停止をお願いした。

だが、残念ながら、きみたちは紳士協定を破った。わたしの所属教団に対する2ちゃんねるでの攻撃は、まったく止まなかったばかりか、「永久に止めない」という宣言がされた。約束が破られた以上、削除していた記事を復活させ、ブログでの追及を再開したのは当然だ。

きみたちが、わたしを引き戻したのだよ!

二度目にわたしが追及を止めたのは、在日韓国基督教総連合会(CCK−J)がクリスチャントゥデイ問題の対策決議をしたときだ。あのときわたしは、この問題がCCK-Jに引き継がれ、CCK-JとCCKと日本福音同盟が連携して処理にあたることになる、と楽観視した。個人として、疑惑の追及を、負いきれない重荷と感じていたことは、ここで説明する必要もないだろう。

だが、きみたちは、CCK-J関係者に圧力をかけ、どういう催眠術を使ったのか知らないが、わたしが対策決議を捏造したとする声明文をCCK-J総会長から出させた。わたしは「捏造者」というレッテルを貼られた。事実に反する汚名を着せられた以上、自分の名誉をかけて、ブログでの追及を再開したのは当然だ。

二度目の場合も、きみたちが、わたしを引き戻したのだよ!

わたしは、名誉を失ったまま安穏な生活をするより、名誉のために戦って死ぬことを選ぶ人間だ。断言するが、きみたちがわたしに「捏造者」というレッテル貼りを続ける限り、わたしは戦い続ける。それは、主イエス・キリストの再臨の日に、偽キリストが完全に滅ぼされるまで、続くだろう。

井出君。きみは、わたしのブログでの追及の結果、クリスチャントゥデイの閲覧者数が5倍に増え、日本と世界の教界は、わたしをまったく相手にしなかった、と今年1月の時点で情況分析をしているね。あのあと香港では「独立調査団」の厳しい調査結果が出た。その波紋は、中国、韓国、日本、北米に及び、三自愛国教会の北京市海淀堂や日本基督教団総会議長が「声明文」を発するまでになっている。情況は変わった。きみのジャーナリストとしての現時点での情況分析を、ぜひ聞きたいものだ。

以上の反論をふまえ、わたしはきみに次のように尋ねる。

第六 ダビデ張在亨を盲信するよう求めるのは、自称ジャーナリストの立場から考えて、正しいことと言えるのか?

第七 ダビデ張在亨から、統一信仰を悔い改めたことを明確に声明する「自認書」が出て来ないのはどうしてか? 出せない理由は何か?

第八 ダビデ張在亨は、本当に按手礼を受けた牧師か? 按手年と按手教団が矛盾していることを、どう説明するのか?

第九 今年1月の情況と、現在の情況は、大きく変化している。自称ジャーナリストとして、現在の情況をどう分析するのか、きみの見解を聞かせてほしい。


潔い答えを待っている。




第三駁論

井出提題「山谷氏はなぜ30年以上も前のことを語るのでしょうか?」

参照 http://nehemiaharchives.blogspot.com/2008/06/30.html

山谷回応

井出君。きみの仲間のイエス青年会三人組、カレン、ユニケ、ハドソンらが昨年、華人教界重鎮の王永信先生を訪ねた折り、「ダビデ張在亨は勝共連合にいた」と説明したそうだね。ダビデ張在亨は、反革命の活動に熱心に取り組んだことがあるのだろう。

だが、きみが引き合いに出した徐南同教授の「民衆の神学」は、神(精神的刷新)と革命(構造的刷新)とを統一し、民衆を主体とした永久革命を指向する社会政治神学であり、言わば東亜版「解放の神学」だ。反革命のダビデ張在亨が、なぜそういう神学に身を投じたと言えるのだ? 矛盾していないか? きみは直接ダビデ張から、そう聞かされたのか? ぜひこの点を、もっと詳しく知りたいものだ。

井出君。徐南同教授は『原理講論』について「量においても、組織力においても、独創性においても、最高のものと認められるにふさわしい」と言っている。だが注意しよう! 徐教授は、統一原理を真理とは認めていない。むしろ、多くの誤謬に満ち、社会不安を引き起こしているから、批判的研究の対象に選んだのだ。量と組織力と独創性は、真理とは全然無関係だ。それは、きみたちが全世界で展開しているインターネット企業群が、量と組織力と独創性において最高であっても、それでダビデ張在亨が来臨キリストと証明されたことには全然ならないのと同じである。

きみもよく知るとおり、1967年版『原理講論』からして、すでにその非キリスト教性が濃厚に現れている。ダビデ張が鮮文大学を休職した1997年になって初めて統一教会が異端になったわけではない。その30年前からずっと異端だったのだ。

1967年版『原理講論』を批判的に検討した日本キリスト教協議会(NCC)は、1975年の第8回常議員会で、こう決議している。

「私たちは統一教会が「私達は旧、新約聖書を経典とする」と主張しながら、実際には『原理講論』を聖書以上に重んじ、原理講論が、その宗教活動の極めて本質的な部分を形づくっていることをみるときに、統一教会が<聖書に基づく>ものではなくて、<原理講論に基づく>団体であり、聖書をとりあげる場合にも、原理講論に基づいて聖書を問題にしているといわなければなりません。このようないわゆる<新しい真理>が与えられる時代は<旧約時代><新約時代>に続く<成約時代>の到来を意味するとして「イエスが再臨されて、新約のみ言が成就し」「新しいみ言(すなわち新しい真理)によって」「イエスと聖霊による新約のみ言が光を失うようになる」という主張も同じ理由によって私たちの立場とは全く相違するものです。私たちは<旧新約聖書>のほかに、いわば<成約聖書>(つまり『原理講論』)といったものの存在を認めないし、また、認める必要もないのです。救いに関する必要な全ての事柄が、旧・新約聖書に証しされていると信ずるからです」

日本キリスト教協議会は、統一教会とキリスト教の間に一線を画し、彼我は相容れない、と声明した。それは1975年3月12日のことだ。その一ヶ月前の2月8日、ソウルの奨忠体育館で行なわれた1800双の「合同結婚式」で、ダビデ張在亨は文鮮明から祝福を受けたのだ。

1979年には、韓国キリスト教協議会(KNCC)が、統一教会はキリスト教ではない、と声明した。同じ年、反統一教会の闘士、卓明煥が「統一教会は十字架のない異端」という声明を発表し、批判書『統一教会の実態とその虚像』を出した。1979年に韓国神学大学で神学士号を取得したダビデ張は、当時の教界が統一教会に批判的だった状況を、つぶさに見て知っていただろう。

教界の批判に対し、統一教会の内部では、統一原理は絶対視されていた。1977年刊行の内部文書では「統一原理は絶対的真理である」「統一原理は、神の原理であり、人生と宇宙を貫く根本的な原理である」「原理には神の直接啓示に勝って、人間を指導し造り変える偉大な力がある」と説かれている。1977年と言えば、ダビデ張在亨が学舎長、巡回伝道団団長として、漢南学舎を指導していた頃だ。指導者であれば、当然、統一原理を絶対的真理として確信していたはずである。『統一世界』1977年7月号のインタビューにこう掲載されている。

「小天国の父の役割を担う張在亨団長は、忠北・沃川に生まれ、建国大学法学部行政学科の出身である。在学時、大学総学生会長団の渡日のとき、建国大学代表として参加し、唯一残っている。みこころのうちに縁がつながり、引き続き原理研究活動をして、卒業と同時に忠北・タルソンに行って開拓伝道をし、のちに原理研究会に再び戻って72年から77年1月まで新村学舎長を経験した。77年1月に巡回伝道団長として発令を受け、漢南学舎の責任を担う多才多能な活動派である。
「今後の夢はなんですか?」
「青年とともに民族原理化に若さをささげることです。摂理に従い、民族を超えて世界人の原理化が可能であることを、必ずお見せします」
要領を知らずにひたむきに生きてきた張団長の信念あふれる姿は、人類の胸の中に神の涙にぬれた心情を植えてもあまりあるだろう」

学舎長とは、統一教会の牧師に相当する職位だ。大学伝道の先頭を指揮し、学生たちに文鮮明をメシアと確信させる「教え込み」を行なう立場だ。学舎では毎週、文鮮明夫妻の写真に供え物をし、その前に跪拝する。その儀式を取り仕切るのも学舎長だ。

ダビデ張が「わたしは統一信仰を持っていたことを徹底的に悔い改めます」と宣言する自認書を出さなければならないのは、求められて当然の前歴があるからだ。

ダビデ張に対して二度の調査を行なった韓国基督教総連合会の異端カルト対策委員会専門委員パクヒョンテク牧師は、調査の様子を回想し、「張牧師と会った。しかし疑問点は一つも解けず、むしろ疑惑がもっと濃くなり、そればかりか、説明の言葉に対する信憑性がますます欠けた。調査委員たちは、張在亨牧師を罪に定めたかったのではなく、納得が行く説明が欲しかったのだが、全然そうはならず、状況によって言葉が変わることが多かった」と述べている。こんな曖昧なままで調査が幕引きされたのは大問題だ。

わたしが恐ろしく思うのは、1967年版『原理講論』と、ダビデ張の一対一の聖書講義の間に類似点があることだ。統一原理の「蘇生」「長生」「完成」に対応する「苗」「穂」「実」の「三段史観」。「再臨のイエスを迫害するキリスト教信徒たちは捨てられる。再臨主を信奉して、神の第三次の摂理を完遂しなければならない。その民族は第三イスラエル選民となる」という「第三のイスラエル」。「水は堕落した人間を象徴している。雲は、堕落した人間が新生し、その心が常に地にあるのではなく、天にある、いわば信仰の篤い信徒達を意味する。イエスが雲に乗って来られるというのは、イエスが新生した信徒達の群の中で、第二イスラエルであるキリスト教信徒達の指導者として現れることを意味する」という「地上再臨論」。これと同じ教えが「東京ソフィア教会」の一対一の聖書講義に見て取れる。きみも「東京ソフィア教会」に居た人間だから、そうした教えの片鱗に触れたことがあるのではないか。

そうであれば、これは30年前の問題ではない。今のきみたち自身の問題なのだ!

以上の反論に基づいて、わたしは次のことを、きみに尋ねたい。

第十 ダビデ張が勝共連合に居た証拠があるなら、ぜひ見てみたい。

第十一 どういう経緯でダビデ張は反革命の闘士から「民衆の神学」に転向したのか?

第十二 その後どういう経緯でダビデ張は自由主義神学から「ファンダメンタリズム」に転向したのか? それとも転向していないのか?

第十三 『原理講論』と類似の教説が、「東京ソフィア教会」の一対一の聖書講義に見出せることを、どう説明するのか?


以上、潔い回答を待っている。




第四駁論

井出提題「山谷氏は印象を操作しようとしています」

参照 http://nehemiaharchives.blogspot.com/2008/06/blog-post_11.html

山谷回応

一葉の写真で印象操作をしようと試みているのは、むしろ、きみのほうだ、井出北斗君!

写真に座しているクリスチャンアカデミーの代表者が、意味を解く鍵だ。

クリスチャンアカデミーとは、第二次大戦で焦土と化したドイツにおいて、ゼロから社会を再建するために、キリスト者が核となり、思想・信条・主義・主張を異にする各分野の「生き残り」を集め、一泊二日の「はなしあい」をしたのが始まりだ。その目的は、真理の是非を論争することにはない。彼我の価値観の相違をふまえつつ、相互を理解し、ドイツ再建にお互い何が出来るかを見出すことにあった。かくのごときクリスチャンアカデミーの理念は、世界に広まり、ここ日本でも関西セミナーハウスを中心に活動している。「はなしあい」つまり対話の相手は、無神論者からイスラム教徒まで、実に幅広い。

クリスチャンアカデミーの徒が無神論者と座して記念写真を撮ったら、それでもってキリスト教界が無神論を公式認定することになるのか? ぜんぜんならない。しかし、キリスト者と無神論者が、聖書信仰とマルクス・レーニン主義という相違をふまえつつ、より良き社会の建設に協力する端緒を作ったことにはなる。

そういうわけだから、クリスチャンアカデミーの徒が文鮮明と記念写真を撮っても、それでもってキリスト教界が『原理講論』を公式認定したことには、ぜんぜんならない。

井出君。きみも『原理講論』を読んだことがあるであろう。その内容たるや、正統的キリスト教と著しく異なる。1967年版『原理講論』すなわち初版に批判を行なった日本キリスト教協議会は、1975年の公式声明において、その内容がキリスト教と異なることを明らかにした。そのまさに同じ年に1800双となったダビデ張在亨は、同じ初版の『原理講論』を読んで信じたゆえ1800双となれたのだ。しかも、読んで信じたにとどまらない。彼は合同結婚式後、学舎長、巡回伝道団団長となって、若者たちに『原理講論』を説き聞かせ、さらには鮮文大学の組織神学教授となって、統一原理の下位の学としての「統一神学」の教鞭を取った。

井出君。われわれが重視するのは、真理問題ではないか? われわれキリスト者にとって、再臨のキリストが文鮮明なのかダビデ張在亨なのかナザレのイエスなのかは大問題だ。それとも、われわれもクリスチャンアカデミーのごとくなり、きみと山谷とダビデ張が一緒に記念写真に収まって、「真理の是非の問題は棚上げして、社会貢献のために手を握りましょう」と声明文でも出せばよいのか? しかしはっきり言っておく。真理の是非を棚上げして宣教協力に手を握ることは、死んでも出来ないことだ。なぜなら、我にとっての宣教は、ナザレのイエスを証しすることであって、彼がダビデ張在亨を証しすることとは、絶対相容れないからである。

それなら、宣教協力でなく社会貢献なら、キリスト教界と統一教会は「手を握る」ことが出来るのだろうか? それが出来ないと最初に認識したのは、一般社会のほうであった。『原理講論』の初版が出た1967年、日本で「原理運動対策父母の会」が結成された。息子娘がおかしくなり、集団生活と無賃金労働にのめりこみ、親たちは悩み苦しんだ末、統一教会に抗議するため全国的に連帯した。1968年には統一教会員の散弾銃の大量保持を治安上の問題として公安警察が認識し、1971年に国会で議論になった。日本キリスト教協議会が声明を出した翌1976年には国会で統一教会の巨額資金送金の違法性が議論された。これらはすべて、ダビデ張在亨が1800双として合同結婚式を挙げる直近の出来事だ。宣教協力どころか社会貢献であっても、手を握ることがためらわれる状況である。井出君。自称ジャーナリストのきみは、それでも「1970年代の統一教会は無問題だった」と評価するのか?

1980年代のダビデ張在亨は、大いなる疑惑の渦中の人物となる。その全容は、イエス教メソジスト教団が1989年12月に出した「韓国教界への謝罪文」に詳細に記されている。天安市に開校された統一教会の大学。これをめぐって韓国教界は大反対運動を展開した。自教団の神学校を乗っ取られ、統一教会の大学が出現する原因になってしまったイエス教メソジスト教団は、「不始末」の説明責任を果たすため、謝罪文を発表した。結論でこう述べている。

「チェジンバク氏は、計画的に本教団へ浸透し、ソジンソク氏を採り入れ、ソジンソク氏は、統一教会幹部である張在亨氏により、チェジンバク氏と共に統一教会に聖化神学校を移転する陰謀を終えて、チェジンバク氏はその姿を消した。そして、ソジンソク氏は、成和大学校の理事長、張在亨氏は同大学校の学生処長で、今日に至ることから見ると、統一教会が計画的に聖化神学校を自分たちの手に入れる計画であったと推測できる」

イエス教メソジスト教団の公式見解では、ダビデ張在亨は聖化神学校をめぐる陰謀の実行者である。そうして、統一教会の『鮮文大学30年史』の134ページには「文鮮明氏の願いを知っていた張在亨氏(後日教授)は、本格的に聖化神学校を買収する作業に取り掛かった。しかし、当時の状態では、天安市三龍洞にある平地でもない山の上に大学校を立てるのは、無理なことに見られたから統一教会の中でも懐疑的に見られていた。それで、張在亨氏は、自分の家を売って資金を出した。彼は、本当に鮮文大学校が存在するために大きな貢献をした人だ」と顕彰されている。

井出君。きみは、イエス教メソジスト教団の「謝罪文」を書いたシンシンモク牧師が、韓国クリスチャントゥデイ編集顧問になっているから、そのことをもって「謝罪文」は取消になった、と言うのかね? このきみの主張こそ、とんでもない印象操作だよ!

シンシンモク牧師は、「謝罪文の内容は今も変わらないイエス教メソジスト教団の公式の立場だ」と言っている。また、シンシンモク牧師は『荒野の声』新聞の取材に対し、「韓国クリスチャントゥデイから要請があったので編集顧問になっていたが、会合への参加など実際の活動は全然なかった」と答えている。活動実態が全然ない名義だけの「顧問牧師」であったのだ。これは、香港で基督日報の顧問牧師をすでに辞任した梁廷益、林以諾、羅錫為、陳恩明、朱世平ら五牧師と同じ状態に置かれていたということではないのかね?

わたしにとって、さらに大きな謎は、聖化神学校買収の陰謀が行なわれた当時、ダビデ張在亨は宝林産業株式会社の専務だったという説。イエス教メソジスト教団の牧師だったという説。これら相反する二説が出ている。これについては、自称ジャーナリストであるきみから、もっと詳細な情報を提供してほしい。

以上の反論をふまえつつ、わたしはきみに以下の通り質問する。

第十四 きみは1967年版『原理講論』の内容について批判的検討を加えた1975年の「日本キリスト教協議会声明文」をどう評価するか?

第十五 きみは、統一教会がいつまで「キリスト教」であり、いつから「キリスト教」でなくなった、と考えるのか? キリスト教でなくなったとは、文鮮明を再臨主と教え始めた時点ということなのか?

第十六 すると、そもそもきみは、統一教会において文鮮明が再臨主とみなされていなかった時期があった、という見解なのか?

第十七 きみは、陰謀的工作をされた側の文書と、陰謀的工作を首謀した側の文書の間で、ダビデ張在亨が同様に指名されている事態を、どう説明するのか?

第十八 きみは、ダビデ張在亨が宝林産業株式会社専務だったと考えるのか? あるいは、イエス教メソジスト教団の牧師だったのか? あるいはその双方を務めていた、と考えるのか?


以上、潔い答えを待っている。

http://dqa.blogspot.com/2007/11/blog-post_5006.html
http://dqa.blogspot.com/2007/11/30.html




第五駁論

井出提題「以下は山谷氏による虚偽の行いです」

参照 http://nehemiaharchives.blogspot.com/2008/06/zondervanywam-sccsc-sccscsccsc-cite9-1.html

山谷回応

井出君。きみは、ダビデ張在亨のグループが一体であることを否定した。

しかし、新宿駅西口地下の喫茶店「シルエット」で脱会者はわたしに告げた。「幹事だけがパスワードを入力して閲覧できる「幹事専用サイト」がある。これは、ACM、イエス青年会、EAPC、クリスチャントゥデイ、ベレコム、その他もろもろの関連団体をすべて統合したサイトで、世界各国語版が用意されている。チチェ(肢体)は、幹事と一緒なら、「幹事専用サイト」を閲覧することが許される」

これはすなわち、ACM、イエス青年会、EAPC、クリスチャントゥデイ、ベレコムが、システム的に一体であるという意味だ。嘘をついているのは、井出君、きみのほうではないのかね?

さらに、クロスマップ韓国版は、ダビデ張在亨の世界福音同盟(WEA)北米理事就任のニュースの中で、こう伝えている。「張在亨牧師は大韓イエス教長老会国際合同総会の総務を歴任した後、大韓イエス教長老会合同福音総会の総会長を務めた。オーストラリアのサザンクロス神学校(SCC)で教授を歴任し、イエス青年会、ACMなど大学宣協会を創立して盛んに活動した。張牧師はクリスチャントゥデイの設立者でもある」

これはすなわち、ACM、イエス青年会、クリスチャントゥデイが、いずれもダビデ張によって設立され、その指導下にある事実を、クリスチャントゥデイが運営するクロスマップが「報道」として伝えたものだ。井出君。きみは、きみの系列メディアが行なった報道を、まさか否定はするまいね?

さらにまた、香港独立調査団からの事情聴取の求めに対し、ダビデ張在亨が代理人として赴かせたウイリアム・ワグナー・オリヴェット大学神学部長は、資料を示しながら説明し、イエス青年会と基督日報はもちろん、ダビデ張が設立した他の団体、すなわち、ACM、ジュビリーミッション、クロスマップ、ベレコム、クリスチャントゥデイ、クリスチャンポストなどが、オリヴェット大学と緊密な関係があることを明らかにした。事情聴取に立ち会った調査団招集人の柯廣輝弁護士は、こう語る。「ウイリアム・ワグナー学部長は、張在亨を「オリヴェット大学の霊的指導者だ」と賞賛し、「オリヴェット大学の設立資金は、ジュビリーミッションから出たものであり、張氏は機関設立の専門家である」と証言した。ワグナー氏の証言を総合して見る時、これらすべての組職が一つの企業のように連結して、メンバー、戦略、事務、情報、技術力を共有しているように見える」

これはすなわち、ダビデ張のもろもろの団体が「連結グループ」であることを、ダビデ張の代理人が自認したということではないか?

ダビデ張が創立し、総長を務めるオリヴェット大学は、その前身がオリヴェット神学校(OTCS)であり、さらにその前身が、サザンクロス神学校海外キャンパス・ソウル校(SCCSC)であると知られている。井出君。きみは、高柳泉のブログ「ソラグラティア」に掲載された、SCCSC開校式の写真をおぼえているか? あの写真には2000年4月15日と大書された看板が写っている。さらに、「SCCSC開校責任者委任証書」の日付は2000年4月14日に。「SCCSC設立証書」の日付も2000年4月14日となっている。井出君。きみには、しっかり答えてもらいたいのだが、オリヴェット大学の前身SCCSCの設立は、確かに2000年4月15日で間違いないのか?

本当に間違いないのなら、当のオリヴェット大学が、学位認定機関である「米国聖書高等教育協会」(ABHE)に提出した学位認定申請書において、自校の設立年を「1992年」としているのは、いったいどういうわけなのだ? 自称ジャーナリストであるきみには、この矛盾を徹底的に調べてもらった上で、だれもがきちんと納得出来る理性的説明をしてもらいたいものだ! 1992年は、ダビデ張が現役の統一教会中核メンバーだった時点だ。
http://directory.abhe.org/Details.aspx?id=92

謎はそれだけにとどまらない。井出君。わたしは、本当にダビデ張がサザンクロス神学校(SCC)の教授だったかどうか不審に思って、豪州アッセンブリーオブゴッド教団に事実照会したことがある。同教団はSCC校長ステファン・フォガティ氏に照会案件を回覧し、わたしは同氏から返答を得た。すなわち「サザンクロス神学校は、ダビデ張在亨氏といかなる関係もありません。ご照会いただいた団体(CEF、ACM、SCCSC、OTCS)のいずれとも、わたくしどもとは関係がありません。それらの団体が、サザンクロス神学校の名称を用い、サザンクロス神学校との提携関係を持ち出しているのは、当校に無断で行っているものです。ダビデ張氏は、オーストラリアのサザンクロス神学校において、いかなる形態においても雇用されたことがありません。張氏が当校において組織神学の教授に就いたことはありません。それらをにおわせたような主張は、完全に事実に反するものです」

井出君。わたしはフォガティ校長の文面を素直に信じる。その論理的帰結は、嘘をついているのは山谷ではなくって、きみおよびきみの師であるダビデ張が嘘をついている、ということだ!

最後に、サーバー問題を反駁しよう。井出君。きみは、豪州クリスチャントゥデイの記者に救世軍豪州本営に電話をかけさせ、IT担当者にサーバー攻撃の有無を尋ねさせた。その通話の音声ファイルを公開している。ところで、豪州には本営が二つある。きみは、いったいどちらの本営に電話したのか、明確にしていない。正確を期して、きみは二か所に電話させ、二つの音声ファイルを公表すべきだった!

しかし、それでもなお、きみのしていることは、全然見当違いだ。

なぜなら、わたしが自分のウェブサイトのために利用し、かつ、わたしがブログで言及したトラブルのためにサイトの内容を永遠に失ってしまったところのサーバーは、豪州の一個人が無償提供していたものであって、純然たる私的占有物件であり、救世軍豪州本営はまったく関係していないからだ。いったいIT管理者は、自分の管轄下の所有物件または占有物件に責任を負うだけである。そうしてIT管理者は、自分の管轄下にない物件について何ら責任を負うことができないし、責任を負えない物件については何ら責任ある回答ができない。

つまり、きみが「証拠」と確信して勝ち誇って流している音声ファイルは、まったくナンセンスということだ!

以上の反論をふまえて、わたしはきみに、以下の質問をする。

第十九 幹事であるきみは、当然、IDとパスワードを与えられて「幹事専用サイト」を毎日利用しているはずだ。疑惑の解明のために、一度、幹事専用サイトの中味をすべて見せてもらうことはできないだろうか?

第二十 オリヴェット大学の前身が本当にSCCSCだとして、なぜ、豪州アッセンブリーオブゴッド教団公認神学校が、たった五年で改革長老派の神学大学に化けたのか? アッセンブリーオブゴッド教団は、経営主体が古典的ペンテコステ主義から改革長老主義に移行することに、どう関与したのか、しなかったのか? きみが何か知っていたら、ぜひ教えてほしい。

第二十一 SCCのフォガティ校長は、ダビデ張がSCCの教授だった事実はない、と明言した。しかし、ダビデ張は韓国基督教総連合会に提出した履歴書に、自分がSCCの教授であったと明記している。両者の完全な矛盾を、きみは自称ジャーナリストとして、どう考えるか? どちらが嘘をついているのか?

第二十二 自称ジャーナリストであるきみは、わたしが利用していたサーバーが救世軍豪州本営のものでないことぐらい、ドメインを調査すれば、すぐわかったはずなのに、なぜ、あんな検討違いの取材をしたのか? これは、ジャーナリストとして致命的な失敗だと思うが、反省の弁があれば聞かせてほしい。


以上。潔い返答を期待する。




第六駁論

井出提題「救世軍は山谷氏の行動を全く支持していません」

参照 http://nehemiaharchives.blogspot.com/2008/06/blog-post_13.html

山谷回応

井出君。きみと世界のきみの仲間たちがネット上で流布した「太田安原合意文書」について、わたしはおととい太田少佐から直接お話を伺う機会があったよ。

太田少佐は、いたく怒ってらした!

「わたしの許しも得ず自分たちの都合の良い勝手な解釈ばかりして実にけしからん」とおっしゃっていた。

さらに、「あれは和解交渉の前段階の交渉を始めるために、わたしが自分の立場を100歩譲って、お互い私人の立場であることを確認した上で署名したものなのに、彼らは自分の都合の良いように勝手に文書を濫用している」ともおっしゃっていた。

裁判でもそう証言してくださるそうだ!

老婆心ながら申し上げる。今更もう手遅れかもしれない。だが、急いで丁寧な謝罪の手紙を書いて、太田少佐に差し上げた上、きみたちがあちこち貼りまくったそれぞれのブログから問題箇所を削除し、かつ、謝罪文を掲載するべきでないのかね?

その上で、反駁しよう。

第一。救世軍は、わたしが行なっている異端疑惑の追求を、積極的に支持するものではない。しかし、積極的に反対するわけでもない。それどころか、消極的に反対するのですらない。事は、世界のキリスト教界の重要な公益に関わる問題だ。それゆえ、事態の推移を「静観」しているのである。どうか忘れないでいてほしい。救世軍本営は、2004年6月17日付「日本福音同盟理事長文書」を受けて出した2004年6月18日付「救世軍本営通知文」(内容は、救世軍の各部門はクリスチャントゥデイの取材を受けるな、という指示である)を、今日に至るまで取り消していない。取り消さない理由は、日本福音同盟が機関決定をもって発行した理事長文書を、今なお取り消していないためである。

第二。「宗教法人救世軍は張氏来臨キリスト疑惑を解除した」というようなことは、現段階では絶対に生起し得ない。なぜなら、救世軍はいまだかつて一度も、張氏来臨キリスト疑惑を正式な「調査対象」として、意志決定機関の検討の俎上に置いたことがないからである。救世軍の現在の線は、2004年6月17日付「日本福音同盟理事長文書」の線と完全に同一だ。すなわち、張氏の「統一教会前歴」が発覚したゆえクリスチャントゥデイの取材を受けない、とする線である。統一教会前歴については、現時点でまったく疑惑が晴れていない。韓国基督教総連合会の二回の調査結果が、「1997年以降において統一教会と関わった形跡が見出せない」とするだけであって、「1997年以前における統一教会との関わり」については、何一つ明らかに出来なかったからである。現在、韓国基督教総連合会の異端カルト対策委員会が調査員を香港に派遣し、脱会者と面談し、証拠資料を精査している。これにより「張氏来臨キリスト疑惑」の深刻な度合いが確認された時点で、事態は2004年6月17日付「理事長文書」の線を超えた、より太い線へ進むことになる。つまり、「統一教会前歴」プラス「来臨キリスト疑惑」という二重線だ。この二重線については、救世軍本営は現時点で何一つ「確認していない」のだ。つまり、統一教会前歴を晴らすに足る調査結果が提示されない現状で、第一の線がクリアーできない。まして、第二の線、すなわち、キリスト来臨疑惑については、韓国基督教総連合会も日本福音同盟も、香港独立調査団の調査結果を受けて、ようやく検討を着手したばかりの段階だ。クリアー出来るわけがないではないか!

きみが、「太田安原合意文書」をもって救世軍本営が疑惑を解除した、と主張するのは、まったく理性に反する言動である。悪い言葉でたとえて言うなら、結婚詐欺師が婚姻届の写しを提示して、「こうして花嫁も署名捺印したのだから、わたしが詐欺師でないことは、花嫁が公的に認めている」と強弁するようなものである。

以上の反論をふまえて、きみに質問したい。

第二十三 きみとベレコム社長の安原とは、どういう関係なのか? また、クリスチャントゥデイとベレコムは、どういう関係なのか? なぜ安原は、「太田安原合意文書」が、その本来の用途から外れた仕方で濫用されている現状について、きみらに苦言を呈さないのか?

第二十四 こないだ静岡県掛川市で行なわれた日本福音同盟総会において、2004年6月17日付「理事長文書」が、いまだ取り消されていない旨、説明が行なわれた。自称ジャーナリストであるきみは、当然この情報をすでに得ていることと思う。ジャーナリストとしてのきみの論評を聞きたい。

第二十五 わたしは老婆心から、早く太田少佐に謝罪の手紙を書くように、きみに勧めた。きみとしては、どうするつもりだ? きみの考えと判断を聞かせてほしい。


以上。潔い回答を期待している。




第七駁論

井出提題「山谷氏の自伝で用いられる「暗黒邪悪パワー」という言葉」

参照 http://nehemiaharchives.blogspot.com/2008/06/blog-post_14.html

山谷回応

井出君。わたしは、たとい小中学生が見よう見まねで行なった数年のオカルト実験であっても、救い主イエスの御もとに身を翻すにあたっては、きっちりと悔改めをせねばならないと思っている。つまり、オカルト前歴を自認した上で、それを全くの誤りとして悔い改めたことを、公言することである。わたしが「魂の遍歴」を上梓したのは、その意味が含まれている。

わたしの「悔改めの覚書」は、きみがわざと無視して「魂の遍歴」から引用しなかった次の部分にしっかり記されている。すなわち

「オカルトとは縁を切った。ある日、ラジニーシの本も、ガネーシャの像も、シヴァやクリシュナやシャクティのポスター も、アロマセラピーの香焚きセットも、タロットカードも、瞑想テープも、全部捨てて、悔い改めの祈りをした。イエスキリストを信じて聖霊に満たされる、という体験をしてからというもの、オカルトというドアをバタンと閉めてしまわない限りは、暗黒邪悪パワーとは縁を切れない、ということが直観的にわかってしまったのだ」

小中学生が数年携わったタロットカードやガネーシャ神像への香焚が「罪」であって、徹底的な悔改めの表明をしなければならないとしたら、大の大人が数十年も異端カルトに携わった「罪」は、どれほどの悔改めを求められることだろう。

井出君。考えてもみてくれたまえ。きみらの精神的指導者であるダビデ張在亨は、大人として十分な分別が備わったと一般的にはみなされる20代前半に統一教会に入信し、統一教会の開拓伝道に従事し、合同結婚式に参加して1800双となり、学舎長から巡回伝道団団長に抜擢されて、多くの若者たちを統一教会に引き込む活動に邁進し、陰謀的な工作を行なって統一教会のために聖化神学校を手に入れ、鮮文大学教授となって、統一原理の下位の学としての「統一神学」の教鞭をふるって、その期間が都合25年すなわち四半世紀に及んだのだ。深刻かつ明瞭かつ長大な「悔改めの覚書」を書いて出すのは、あたりまえである! そのあたりまえのことが、なぜできない?

この点について、きみの見解を聞きたいものだ!

きみは、わたしが「邪悪な者の声」を聞いたことをもって「山谷は信用ならない」という論を展開しているね? それならば尋ねるが、荒野で「石をパンに変えて食べよ」という邪悪な者の声を聞いた主イエスは、どういうことになるのだね? 砂漠の庵にて邪悪な者の声を聞いた聖アントニウスは、どういうことになるのだね? 書斎で邪悪な者の声を聞いてインク壺を投げつけたマルチン・ルターは、どういうことになるのだね?

この点について、きみの神学的見解を聞きたいものだ!

以上の反論をふまえて、きみに質問しよう。

第二十六 きみが気味悪がっている、あの魔術師の絵は、『指輪物語』のガンダルフだ。きみは自称ジャーナリストだ。キリスト教児童文学の金字塔たるJ.R.R.トールキンの『指輪物語』を、キリスト教ジャーナリズムに要求される最低限の常識を満たすために、必ず読んでいることと思う(もし、読んでいない、などという答えが返ってきたら、わたしは金輪際きみを相手にするつもりはないよ)。あの絵は、灰色のガンダルフが王城ミナスティリスの基部の文書館で、指輪学に関する古文書を探索している場面を描いたものだ。本の文字はシンダール語、つまり、エルフ語で、オックスフォード大学の言語学の教授だったトールキンが創作した文字である。トールキンとC.S.ルイスは文学会「インクリングズ」で研鑽し合った仲だが、ルイスが回心してキリスト者になった背景には、トールキンの影響が大きい。ところで、ルイスの『ナルニア国物語』第二部を映画化した「カスピアン王子の角笛」について、きみは自称ジャーナリストとして、どう評価しているのかね? きみらの親会社である「クリスチャンポスト」のオンライン紙面には、映画「カスピアン王子の角笛」のバナー公告がでかでかと貼り出されているね? できれば、トールキンの『指輪物語』と映画「ロードオブリング」についての、きみのジャーナリストとしての評価と合わせて聞かせてほしいものだ。きみは、アスランにもガンダルフにも×をつけるのか? アスランは○でガンダルフは×なのか? アスランもガンダルフも共に○なのか?

きみの潔い答えを期待する。




最終駁論

井出提題「山谷氏が告訴されるに至った経緯」

参照 http://nehemiaharchives.blogspot.com/2008/06/blog-post_16.html

山谷回応

井出君。きみは自称ジャーナリストだろう? いったいきみは、「言論の自由」について、どう考えているのだね?

井出君。きみはキリスト者だろう? いったいきみは、信教の自由を構成する重要不可欠の要素たる「宗教的批判の自由」について、どう考えているのだね? きみは大韓民国大法院が1996年9月6日に宣告した「判決96(ダ)19246判決」を知っていることと思う。そこでは、「異端を批判する自由は、言論の批判の自由よりも、保障されなければならない」と述べられているのだ。ジャーナリストとして「言論の批判の自由」を日常的に行使しているきみは、キリスト者として「異端を批判する自由」を、どう保障されるべきだと考えているのかね?

井出君。きみらの指導者であるダビデ張在亨は、ある宣教師に対して、「われわれはインターネットの世界を支配する力を持っている。だから、われわれに協力せよ」と迫ったそうだね? わたしは、このダビデ張在亨の言葉に、真に悪魔的な響きを感じたのだ。だが、幸いなことにその宣教師は、ダビデ張在亨の誘惑の言葉に抗い通し、協力を最後まで拒否した。つまり「サールマン」には、ならなかったわけだ!

いったいきみは、インターネットの世界に「専制による恐怖政治」を目論む側を支持するのか? それとも、インターネットの世界における「自由の民」の利益を擁護するのか? きみが似非ジャーナリストでないのなら、きみが答えるべき答えはひとつしかない。きみは「自由の民」の側に立たなければならないのだ!

その上で、きみに尋ねよう。もしきみが、インターネットの世界における「自由の民」の利益を擁護すると本気で言うのであれば、「おまえのブログを潰すまで、次から次に裁判を起こしてやる」というがごとき言葉が、なぜきみの口から出るのか?

井出君。きみらが裁判すなわち「剣の権能」に訴え出た事実をもって、すでに、きみにあっては、「ペンは剣より強し」という言葉は死んでいるのだ! だからわたしは、きみに勧告する。きみは高柳や矢田と共に、今すぐジャーナリストを辞めなければならないのではないか? なぜなら、きみらは実のところ、はなからペンの力など信じていなかったからだ。さらに言おう。きみらがペンの力を使いこなせたためしなど、これまで、ただの一度すら、なかったのではないか?

以上の反駁をふまえて、きみに最後の質問をしよう。

第二十七 きみも、高柳も、矢田も、本当にジャーナリストなのか?

きみからの潔い答えを待っている。

以上をもって、クリスチャントゥデイ記者、井出北斗に対する駁論は完結した。

2 コメント:

細木 さんのコメント...

今ごろコメントして申し訳ありません。
実物を今日始めて見たものですから。
あんな駄目駄目なブログを書いて、CTにリンクをつけるなんていう、すごく恥ずかしいことが出来てしまう情報媒体記者って何でしょうか。

そういう感想を持ちました。

CTは2ちゃんねるレベルということですね。
読者に、情報の選別をさせて、自分は好き放題書くという感じがします。

Makoto Yamaya さんのコメント...

「根田陰謀論」というのは、もともと2ちゃんねる発の妄想だと思っていたのですが、どうも、CTの人たちは、本気でこれを考えており、裁判でも、これをメインに据えて戦いを展開するつもりのようです。

2007年1月25日の「高柳山谷会談」の二日前、23日の夜、小生は太田少佐の同席のもと、初めて根田氏に会って話を聞いたのですが、その内容と言えば、高柳氏は「居酒屋でアルバイトをしながら紙面の製作をしている」と説明していた、というようなエピソードが思い出される程度です。

会談を終え、同夜に小生は『クリスチャントゥデイ問題資料』(PDF)をメールで根田氏に送ったのですが、今回のCTの報道では、CTが何らかの方法でそのメールを入手し、記事の中で「暴露」しています。

CT側の論調では、「根田氏が山谷に情報を提供した」となっていますが、真相は全く逆で、「山谷が根田氏に情報を提供した」ということです。

それゆえ、根田氏が「山谷の犬」と呼ばれ得る可能性はあるとしても、山谷が「根田氏の犬」と呼ばれ得る可能性は、ゼロであるとしなければなりません。これは、小生は裁判で堂々と主張するつもりです。

さらに、『クリスチャントゥデイ問題資料』は、高柳山谷会談から5日後には、インターネット上で公衆が閲覧出来る状態で提供されており、今日に至っております。

つまり、すべてのことが光の下に置かれているのであり、暗闇の中のわざ、すなわち「陰謀」などというものは、存在し得ないわけです。

そもそも、小生が根田氏と会ったことも、その日の日記で明らかにしているわけですしね。
http://majormak.blogspot.com/2007/01/blog-post_116953869698960068.html

おもしろいと思うのは、日記をご覧頂くとわかりますが、その日、小生は根田氏に会う前に、リバイバル新聞の谷口和一郎氏にも会っているのです。

そうしますと、なぜCT側は、根田陰謀論は唱えるのに、「谷口陰謀論」は唱えないのか。

CT側は、クリスチャン新聞ばかり狙い撃ちしますが、CT問題を報道しているリバイバル新聞やキリスト新聞には、全く触れようとしません。実に不思議です。

コメントを投稿

説教ポッドキャスト

神学討論

裁判日記

スピリチュアリティ・ブログ