2007年9月30日

ローマ10:5-13「口で告白する」


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”データプロファイル”

救世軍杉並小隊(教会)での9月30日(日)の説教をアップロードしました。

聖書 ローマ10:5-13
説教題 「口で告白する」

救世軍杉並小隊では、毎週日曜日の午前10時30分から、キリスト教の礼拝を行っています。みなさまのおいでを心から歓迎いたします。

場所 東京都杉並区和田2-21-39
電話 03-3384-9443
交通 東京メトロ「中野富士見町」下車 徒歩15分
(救世軍ブース記念病院のとなりにあります)
メール makoto.yamaya@salvationarmy.or.jp

iPodとiTunesを使っている方は、iTunesのメニューから「詳細設定」→「Podcastを登録」と進み、出て来たダイアログボックスに、このブログのRSSアドレス http://feeds.feedburner.com/MajorMak をコピペして、OKボタンをクリックしてください。iTunesがオンライン環境にあれば、即座に最新コンテンツのダウンロードが開始されます。

Summary

Sermon Podcasting from The Salvation Army Suginami Corps on Sunday 30 September 2007.

Scripture: Romans10:5-13
Title: Confession of Faith



2007年9月29日

Да, Иисус, да!

昨晩、救世軍南太平洋及び東アジア地区(SPEA)万国書記官のバリー・ポプジ中将による講演会があり、小生が通訳奉仕の御用にあたった。演題は「東ヨーロッパでの救世軍の活動について」。ポプジ中将は、今年7月まで約八年の長きにわたり、ロシア・モルドヴァ・グルジア・ウクライナ・ルーマニアから構成される「東ヨーロッパ軍国」(救世軍の管区)で伝道牧会と管理運営の奉仕をして来られた。

パワーポイントを使って写真を紹介しながらの講演だったのだが、旧ソビエト圏伝道が想像を絶する困難な状況であることが、よくわかった次第。詳細はあまり書けないけれども、国によっては手当の90パーセントが課税されるところがある由。このようなところで何年も駐在員をやった人が、キリスト教再建主義の正しさを確信するようになって、爾後、あらゆる議会法ならびに成文法を呪詛するようになる、というのが、なんとはなしに理解できる気がした。

このポプジ中将の英語が、どうもわかりづらくって、その上、例によって筋書なしでやられたものだから、小生は終始ひやひやしっぱなしであった。講演終了後、司令官秘書の某嬢と言葉を交わしたのだけれども、英語に堪能な彼女も前日の祈祷会でポプジ中将の通訳をして、大変苦労させられたとのこと。分析してみるに、中将の喋り方というか文章の構文というものが、もっぱら、文語体でなく口語体、論文調でなく詩文調、厳密にというようりザックバランであるからであろう、というのが、某嬢と小生の達した結論である。

講演会に出席した人には、ポプジ中将からお土産として、ロシアの救世軍のバッジが配られた。救世軍の旗をあしらったベースに、ロシア語で「ダー、イイスス、ダー!」(Да, Иисус, да!)と書いてある。意味は、「はい、イエスさま、はい!」だとのこと。筆舌に尽し難い境遇の中で、ロシアの救世軍人たちは、いやいやながらではなく、しぶしぶではなく、強いられてではなく、後ろを振り返りながらではなく、いつも、つねに、たえず、自らの主体的な決断によって「はい、イエスさま、はい!」と叫んで、喜びをもって前進している、との説明があった。今後しばらくの間は、「ダー、イイスス、ダー!」が小生の口癖となりそうである。

2007年9月27日

Blogspotを利用した日記がmixiに正常に参照されない問題

本年1月23日頃より、mixiユーザーで外部日記にグーグル社のブロガー(BloggerもしくはBlogspot)を使用している場合に、日記の更新がmixiに全く反映されないという問題が発生していた。

これは、ブロガー(Blogspot)側が、サイトフィードの配信方法であるAtomをバージョンアップしたために起きた障害である由。Atom2.0に上げた際、フィードのアドレスの表記方法も併せて変更されたのだが、このことがユーザーにきちんとアナウンスされておらなかったため、ユーザー側がmixiの設定項目で参照フィードのアドレスを書き換えなかった場合に上記問題が発生し、かつ、書き換えを行わない限り、上記問題がずっと続く、ということであったようである。

小生のブログ「Major Mak's Diary」の場合、Atom2.0対応の新たなフィードのアドレスは;
http://majormak.blogspot.com/feeds/posts/default
となっている。で、この新アドレスをmixiの設定項目に上書きすると、数時間後から日記の更新がmixi側に正常に反映されるようになった。

長らく原因不明であった問題が解決し、安堵している。このために非常に参考になったブログ「Peace Pie」に感謝したい;
「Peace Pie」

2007年9月26日

シャローム・エクスプレス


ⓒT.Yokonaga, Shinjuku Shalom 2007

週末の夜、単立カリスマ系の新宿シャローム教会で毎月一度開催されている、ライブ形式の伝道イベント「シャローム・エクスプレス」第68回に参加して来た。

新宿シャロームの「噂」は、25年以上前から折りに触れ聞いていたのだが、今回初めてゴスペル・ファンキー・ロック・バンド「栄光号BDバッジ」の生演奏にシビレル体験をした。高円寺文化圏出身の小生のDNAに非常に共鳴する周波数なのである。あまりにシビレたので、早速、栄光号のCD二枚を郵送代引にて注文してしまった(笑)

この伝道イベントには、何年か前に青山学院大学を会場に行われた「すっと青山」(日本福音同盟世界青年宣教大会)で知己になったHN「よこさま」からお誘いを受けて、参加することになった。あのとき、小生は、たまたま、よこさまと隣り合わせで座ったのだが、よこさまはお連れの方に、救世軍の第二の創立者として「軍母」と呼ばれるカサリン・ブースにつき、熱く熱く語ってくださったのだった。実に救世軍のことをよく知ってらっしゃる、と小生は感嘆することしきりであった。その後、福音派の超教派の大イベントや社会鍋の度に、ちょくちょくお会いして、ご挨拶する間柄となったのである。

さて、今回の伝道イベントの前に、栄光号のリーダーであるHN「Toshi_Roll閣下」と何度かメールのやりとりをしたのだが、そこでわかったことは、閣下も小生も、主イエス・キリストに救い取られる前に<オカルト前歴>を持っていた、ということである。

で、当日に、小生は「元オカルト少年」という口上にてMC(Master of Ceremony = 司会者)松井某嬢から紹介を受ける羽目に。。。 しかも某嬢は「わたしもバグワンの『存在の詩』とか読んだことあります」と告白して(オイオイ; 汗)閣下、小生、某嬢の三人でバグワン・ネタを打つ始末となった(笑) それはもちろん、般若心経の軽めのチャンティングに移行して、虚無的人生観の話題となり、その帰結としての自殺願望へ、さらにそこから、虚無でなくリアルに実在する主イエス・キリストのみが与えたもうまことの平安というテーマへと展開して行った。

中央線は日本のインドである、と言われて久しいけれども、国分寺から発して西荻あたりから阿佐ヶ谷、高円寺、中野と加速するオーラが大久保で激しくきしみながら流れ込んで来る新宿の「あのあたり」にて、70年代っぽいファンキー・ロックが主イエス・キリストへの真摯な信仰告白を歌い上げ、ネタ振りが和尚ラジニーシことバグワンに始まって、「救いはこのお方、すなわち、主イエス・キリストしかない!」という根本主義的キリスト教の確信がメッセージされるに至るという、実に奇妙かつ愉快な一晩であった。一期一会とは、まさにこのこと。そうして小生は、インド的高円寺文化圏が「栄光号BDバッジ」という<触媒>の作用によって変容を遂げ、福音的文化が出来(しゅったい)する有様を目撃することができたのである。


ⓒT.Yokonaga, Shinjuku Shalom 2007

神学的に言えば、高挙のキリストの王権的頭首権的世界統治の下にあって、キリストのしもべである主権、位、支配、権威といった「ストイケイア」(宇宙の構成に関わる天使的諸力)が、おのおののドメイン(領域)を忠実に管理監督しているのであるけれども、それらドメイン内の事象(たとえばハード・ロックとかヘビーメタルといった音楽ジャンル)は、ストイケイアの動きに連動して、天使的諸力の悪鬼的本性を表わすメディアとなってしまうことが、理論上あり得るし、また、実際そうなってしまったケースをサンプリング出来る。

しかしてまた聖書は、天使的諸力が、<福音を生きる教会>の生きざまを、固唾を飲んで見守っているのであって、さらにまた、天使的諸力は、<福音の奥義>を知りたいとすら希求している、とも述べている。

そうであるならば、<福音を生きる教会>が、自らの振る舞い、すなわち、心と口と行いと生きざまによって、各ドメイン内の事象を次々と変容させ、ストイケイアの動きをスプリングボード(跳躍台)に使って、主イエス・キリストにある<恩寵と自然の調和>を表現してしまうこともまた、あり得るであろう。

<恩寵と自然の調和>ということを、カトリック神学的に「サクラメンタルな世界観」と呼ぶのであるとすれば、ミサ聖祭と能楽のコラボレーションは、ひとつのサクラメンタルな出来事であろうし、そうしてまた、伝道イベント「シャローム・エクスプレス」も、ひとつのサクラメンタルな出来事であろうと思う。

もし前千年期再臨説ではなく、後千年期再臨説が正しいのだと仮定した場合、千年王国における主イエス・キリストの支配(ドミニオン)の実現は、旧約律法の決疑論的な適用による処刑の拡大になどよるのでは決してなくって、むしろ、「地の産物」(たとえば中央線沿線の果実)を携えて、それらを「諸国民の栄光」(たとえば栄光号)として、「新しいエルサレム」の真珠の門(パーリーゲート・カフェ)の内へと運び入れるような、創造的な企図にこそよるのだ、と小生は考える。

やがて来るべき王国の「パーリーゲート・カフェ」では、連日の演奏会が行われるはずであるが、J.S.バッハのモテットや「マタイ受難曲」があり、ほかの日には、ゴスペル・ファンキー・ロックの演奏があるはずで、その激しい演奏の最中、われらの主イエス・キリストは周囲の者にのたもうであろう。「友らよ。これは、どこからもたらされた産物であるか?」 すると、ひとりの者がみそばに進み出て、申し上げるであろう。「わが主よ。そうして、わが兄よ。おそれかしこみつつしんで申し上げます。あれは、中央線沿線から採れた産物で、栄光号と申す者らが、ここ、新しいエルサレムへと、献上して参ったものです」
諸国の民は、都の光の中を歩き
地上の王たちは、自分たちの栄光を携えて
都に来る。
都の門は、一日中決して閉ざされない。
そこには夜がないからである。
人々は、諸国の民の栄光と誉れとを携えて
都に来る。

黙示録21:24-26





ポスト・スクリプト

さて、小生とバグワン(和尚ラジニーシ)の「関係」である。

小生を「極悪人」と名指ししたダビデ張在亨氏の新聞『韓国クリスチャントゥデイ』は、2007年6月8日付記事にて「山谷はラジニーシに入信した弟子である」ゆえ、その言うことは全然信用ならぬ、と批判した。

しかし、小生は、中学生一年生当時にバグワンの著書を何冊か読み、かつ、プーナのアシュラムが製作した「スーフィー・メディテーション」と「ダイナミック・メディテーション」のテープを買い求めて、自宅にて一二回試してみたにすぎない。スーフィー・メディテーションの方は、イスラム神秘教団の回転舞踊のために、目がぐるぐる回って気持ち悪くなり、断念。ダイナミック・メディテーションの方は、激しい呼吸のために、喘息が悪くなり、断念。まことに情けない次第である。東洋の真理の追及は、基礎体力と根性が必要なのであって、運動音痴の文科系人間には、メディテーションの前に、毎朝のランニングが必要だったのだ。(後楽園球場で開催されたビリー・グラハム国際大会にて小生が主イエス・キリストを信じる決心をしたのは1980年すなわち中学二年生のときである)

さて、バグワンの弟子たる要件は、インドのプーナにあるアシュラムに赴き、グル(導師)たるバグワンとの面会の約束を取り付け、毎晩「老子ホール」にて行われる<ダルシャン>すなわちグルとの一対一の面談に臨んで、そこにて師弟の出会いが成立し、弟子として全存在を師にコミットする覚悟があるかと問われて「はい」と答えると、晴れてグルの写真入りマラ(数珠)を授けられ、弟子となるのである。弟子となったら、サニヤシン(出家者)であることを証しするオレンジ色の服を身につけねばならない。

この要件にあてはめれば、小生は、インドに行ったことはなし。バグワンに会ったことはなし。師に全存在を賭ける覚悟を決めたこともなし。数珠をもらったこともなし。オレンジ色の服を着たこともなし。である。

それゆえ、『韓国クリスチャントゥデイ』が小生について報じた記事は、事実に基づかない誤報である、と言わねばならぬ。

もっとも、バグワンの弟子云々については、小生は『韓国クリスチャントゥデイ』には抗議せず、「ハリポタ論争」と「再建主義論争」その他の件につき「抗議文」をものしたのであるが、先方が陳謝するどころか、まったくなしのつぶてであることは言うまでもない。

2007年9月23日

ヨハネ11:17-27「ラザロの復活」


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救世軍杉並小隊(教会)での9月23日(日)の説教をアップロードしました。

聖書 ヨハネ11:17-27
説教題 「ラザロの復活」

救世軍杉並小隊では、毎週日曜日の午前10時30分から、キリスト教の礼拝を行っています。みなさまのおいでを心から歓迎いたします。

場所 東京都杉並区和田2-21-39
電話 03-3384-9443
交通 東京メトロ「中野富士見町」下車 徒歩15分
(救世軍ブース記念病院のとなりにあります)
メール makoto.yamaya@salvationarmy.or.jp

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Summary

Sermon Podcasting from The Salvation Army Suginami Corps on Sunday 23 September 2007.

Scripture: John11:17-27
Title: The Raising of Lazarus



2007年9月21日

笑止千万

近頃、「クリスチャントゥデイは問題ないことが判明した」と、クリスチャントゥデイ関係者が教界各方面に言って廻っている由。複数ルートから情報を得た。

笑止千万とは、実にこのことだ。

クリスチャントゥデイ側は、いったい、いかなる根拠でもって、「クリスチャントゥデイは問題ないことが判明した」と言っているのか?

問題ないことが判明するような確かな根拠が見つかっているのなら、疑惑の追及者である小生に、なぜまず見せようとしないのか? 本来ならクリスチャントゥデイが毎年一回『官報』に掲載すると会社登記でうたっていながらその実一度も掲載したことがない「財務諸表」について、高柳社長は年頭に高柳山谷会談同席者一同に「明らかにする」と約しておきながら、だれも、いまだに、見せてもらってはいないのである。

あるいは、峯野-張会談、峯野-タニクリフ会談の事実をもって、疑惑は晴れた、とでも言うつもりか? 残念ながら、それらの会談の場で、いったい双方の間で何が話し合われたのか、日本教界の誰に対しても、いまだにその片々すら、明らかにされてはいないのである。WEAが統一教会系統の手中に落ちるか落ちないかという一大事を、教界首脳の秘密会談で幕引きさせるなどということであるのなら、それこそ小生は「福音主義は死んだ」と結論せねばならぬこととなる。

さらには、まさか、シン・シンモク大韓イエス教監理会元監督が韓国クリスチャントゥデイ七周年に祝辞を寄せたから、だから、問題ないことが判明した、とでも言うつもりか?

はっきり言っておくが、日韓照会ルートで問い合わせた結果、シン元監督が張在亨氏と和解したという事実は、過去も現在も、全くない。

そうして、シン元監督が1989年に出した「聖化神学校-統一教会売却顛末覚書並びに謝罪文」(公開謝罪文)は、「現在も変わることなき大韓イエス教監理会の立場を示すものである」と、先方の確認を得ている。

さて、もし根拠もなく、ただ「問題ない」と言っているのだとすれば、それは、非合理的・神秘主義的な跳躍であって、およそ理性的人間がすることではない。

そう言えば、確かに張氏の聖書講義では、人間の理性こそが、最も敵視されていたのである。




ポスト・スクリプト

CT工作員連は、依然として2ちゃんねるでの工作を継続するもののようである。小生としては、言われっぱなしでは、面白くないし、かといって、いちいちこのブログで反応するというのも、どうかという気がする。逆に、2ちゃんねるに「少佐本人」というHNで登場する、というのも、あり得ない話である。

それで、「間接レス」という手法を採用してみることとした。掲示板名は「にちゃんれす」である。気がむけば書き込んで行きたい。これにより、ブログ本体にてCT問題に言及することは、今後、よほどの事態の急変でも起こらない限り、なくなるはずである。

「にちゃんれす」

なお、「にちゃんれす」は、まったく本人専用BBSである。敵対者や第三者が書き込めない設定にしてあるわけではないが、しかし、原則「本人専用」であるから、書き込みを発見し次第、掃除させて頂く方針である。

反論なさりたい方は、どうぞ、2ちゃんねる本体にて行って頂きたい。

山谷啓白

2007年9月20日

再掲:キングダム・ロスト



昨年9月にk氏のご両親からカルト相談を受け、提供された情報をもとにエントリーしたのが、「キングダム・ロスト」という一文である。掲載間もなくして、クリスチャントゥデイの矢田喬大記者から、告訴の威嚇をもってブログ記事削除の要求が行われたのであった。その経緯と、「キングダム・ロスト」の全文を再掲して、「CT問題一周年記念」としたい。




<以下再掲>

「クリスチャントゥデイ問題資料」pp.5-6.

ACMのこともクリスチャントゥデイのことも、忘れかけていた昨年の9月頃のこと、ある女性からACMに関する相談の電話を受けた。ここから、事態は大きく転回して行くことになるのである。その女性の息子さんは、大学在学中にACMの勧誘を受けて入信し、それ以降、家族に対して頻繁に嘘をつくようになったという。大学卒業後、ベレコムというIT会社に就職すると告げたのだが、自分の住所を教えようとしない。不審に思った両親が、松濤ビルに住所があるベレコムの事務所を訪ねてみると、「クリスチャントゥデイ」の看板が出ていたという。息子さんとの連絡は途絶えがちになり、心配していると、ある日、消費者金融五社から借金返済の督促状が実家に届いた。驚愕して息子さんに問いただすと、最初は「ACMの上部団体に上納した」と説明していたが、後に「困っている女性に用立てた」などと、次々に言葉を変えた。御両親は「社会人なのだから、まず働いて借金を返しなさい」と強く意見し、勧めに従った息子さんは、御両親が三ヶ月分だけ家賃を用立てたアパートに住みながら、人材派遣会社で働き、借金返済を始めた。ところが一年後、不動産会社から家賃支払いの督促状が実家に届いた。急いでアパートを訪ねてみると、家財道具を一切合切残したまま、息子さんの姿は消えていた。大家が荷物を全部引き取って退去するよう要求するので、御両親はそれに応じて部屋を開け、未納家賃の一部を立て替え、滞納された光熱水費や電話代も支払った。そうして、クリスチャントゥデイを訪ね、息子がどこにいるか知らないかと聞くと、「知らない、わからない」という。その足で、ベレコムを訪ねると、やはり、「知らない、わからない」という。アパートから引き取った荷物の中からは、大量の聖書講義ノートと、オリヴェット大学の入学通知書があり、ノートには 「聖ダビデ牧師様」という言葉が出て来るという。この相談を受けて、小生は「これはおそらくカルト団体である可能性が高い」と判断せざるを得なかった。そこで、お母様から聞いた、小生にとっての新たな注目キーワードである「ベレコム」と「オリヴェット大学」を手がかりに、ネット検索による調査を開始すると、あるひとつの像がそこに開けて来たのである。

オリヴェット大学を核とする世界大のインターン制度

オリヴェット大学というのは、張在亨氏が設立し、初代学長を務め、現在は総長に就任している、サンフランシスコの神学系大学である。ここへは、ACMがキャンパス伝道で勧誘した学生たちが、「修士号」を取得する目的で、世界各地から入学して来る。神学部、音楽部、新聞学部、芸術学部、情報工学部で学ぶ学生たちは、修士課程の一貫として、「インターン・プログラム」に参加することになっている。インターン派遣先の団体や企業というのは、すべて、ACM関連のものばかりであって、それは以下の通りだ。

オリヴェット神学校を出ると、「世界福音長老教会総会」「アポストロス・キャンパス・ミニストリー」「イエス青年会」でインターンになれる。

ジュビリー音楽学校を出ると、「ジュビリーミッション」「ブレスキャスト」でインターンになれる。

オリヴェット新聞学校を出ると、「クリスチャン・ポスト」「ゴスペルヘラルド」「クリスチャントゥデイ」でインターンになれる。

オリヴェット美術デザイン学校を出ると、「デオグラフィックス」でインターンになれる。

オリヴェット情報技術学校を出ると、「クロスマップ」「ベレコム」でインターンになれる。

以上のようなインターン制度についての調査結果が一方にある。その一方で、相談して来られたお母様は、「どうも息子の言葉のはしばしから、無賃金もしくは低賃金で、長時間労働をさせられているような感じがする」という言葉があった。この二つを結びつければ、こういうことになる。全世界の大学でキャンパス伝道を繰り広げているACMは、若く優秀な大学生を勧誘し、聖書講義を通じてある種のマインドコントロールを施して、オリヴェット大学修士課程に送り込み、学生たちはそこから「インターン」となって、世界各地のACMの系列企業に派遣され、無賃金あるいは低賃金に近いかたちで労働をさせられる、という構図である。もっとも、この構図については、想像が大部分を占めていて、証拠付ける資料は、その時点では、まだ存在しなかったのだ。

告訴をちらつかせたブログ記事削除要求

上記の「インターン制度」にまつわる疑問をブログで提示したところ、早速、クリスチャントゥデイの矢田喬大記者から電話がかかってきた。「このまま放置すると大問題になる。削除していただきたい。削除しない場合には、法的手段に訴えることになる」とのことであった。疑惑を確証する証拠に不足していた小生は、法廷闘争になった場合に勝ち抜ける自信がなかったので、ブログ記事の一部を伏字にすることで、矢田記者の要求に対応することとした。ところが、「伏字処置では不十分である。記事を完全に削除せよ」と、再度の要求が矢田記者から行われた。これには小生は納得できず、抵抗した。すると、矢田記者から「直接お会いしてお話したい」との要望が出された。話し合うことにやぶさかではない小生は、早速日時と場所の設定をした。2006年10月12日(木)午後7時、新宿駅西口地下広場交番前で矢田記者と井出記者と落ち会い、交番裏の喫茶店で面談する、という約束である。ところが、その日が近づくまでに、思いがけないことが起きたのだ...。(全文はこちら)

<以上再掲>




<以下再掲>

「キングダム・ロスト」2006年9月13日

以前にもログしたことがある、アポストロス・キャンパス・ミニストリーという「謎多き団体」だが、今日、問い合わせの電話を受けた。

小生の中では、ほとんど忘れかけていた団体だったのだが、ここに来てまた、心の中に好奇心が、むらむらと沸き起こり始めている。

在米韓国系学生伝道団体アポストロス・キャンパス・ミニストリー(ACM)と在米中国系学生伝道団体イエス青年会(YD)が、サンフランシスコを拠点に学生伝道を繰り広げ、その結果、急速な教会成長を成し遂げて「アンテオケ教会」を設立し、そのアンテオケ教会が、なんと「世界福音長老教会総会」(WEAPC)さらには「世界長老教会総会」(WAPC)なる仰々しい看板を立ち上げ(いったい、世界中の長老教会は、そんなものが地球上に存在していることを、少しでも知っているのだろうか?)さらには、オンライン新聞「クリスチャン・トゥデイ」、オンライン放送局「ブレスキャスト」、ポータルサイト「クロスマップ」、メディア企業「クリスチャン・ポスト」「ゴスペルヘラルド」、教育機関「オリヴェット大学」、音楽宣教団体「ジュビリー・ミッション」、IT企業「ベレコム」、デザイン会社「デオグラフィックス」を、次々と立ち上げている。しかも、それらがみな2001年から2006年という、ここわづか五年間に、世界各地で設立されているのだから、驚きである。

いや、もちろん、「今度インドに開設しました!」と、いくら宣伝したって、それは、ただローカルドメインを取得して、同一デザインのサイトのテンプレートを現地語に翻訳して、だーっとアップロードしてしまえば、さも「現地法人」が出来たかのように見せかけられなくもない。

しかし、どうもそんな、簡単な話ではないようである。

たとえば、IT企業「ベレコム」の日本法人を挙げれば、資本金1000万円、社員32名を抱えて、東京と大阪にオフィスを構え、ホームページのデザインとサーバー管理を中心に「営業」しているのである。

「ベレコム日本法人サイト」

してみると、アポストロス・キャンパス・ミニストリー、イエス青年会、ジュビリー・ミッション、クロスマップ、クリスチャン・トゥデイの妙にあかぬけしたデザインは、なるほど、この「ベレコム」なるサイト製作会社が一手に引き受けていた、ということになるのであろう。

北米のオリヴェット大学のサイトを見ると、これら、「アンテオケ教会傘下の企業」と同大学との提携関係が、非常にわかりやすく図示されている。

「オリヴェット大学修士課程履修生インターン先一覧」

オリヴェット大学には、下記の五つのカレッジがあって、そこで「修士号」を取得することが出来る。カレッジで学ぶと、提携先の企業で「インターン」として研修することが出来る。すなわち

オリヴェット神学校を出ると、「世界福音長老教会総会」「アポストロス・キャンパス・ミニストリー」「イエス青年会」でインターンになれる。

ジュビリー音楽学校を出ると、「ジュビリー・ミッション」「ブレスキャスト」でインターンになれる。

オリヴェット新聞学校を出ると、「クリスチャン・ポスト」「ゴスペルヘラルド」「クリスチャン・トゥデイ」でインターンになれる。

オリヴェット美術デザイン学校を出ると、「デオグラフィックス」でインターンになれる。

オリヴェット情報技術学校を出ると、「クロスマップ」「ベレコム」でインターンになれる。

うーむ。これほど傘下企業が揃っていれば、高い月謝を払って修士号を取得しても、就職先には、ちっとも困らないであろう。

いや、就職ではない。「インターン」なのだ。

インターンといえば、この高度福祉国家日本においてさえ、つい近頃までインターン研修医は、「ただ働き」に近い条件で、労働しなければならなかったのである。

それはそもそも、労働と考えるから、おかしな話になるのだ。労働を商品として経営者に売却する、というのが労働の概念であるとすれば、インターンというのは、現場で働かせて頂いて、実地に学ばさせていただいて、教室では得難い貴重でありがたい経験なりスキルなり見識なりを、得させていただくのである。それには、それ相応の代価が要求されて、当然である。

では、学生すなわちインターン生は、代価を、どうやって支払うのか。それはもちろん、労働を商品として経営者に売却することによって、である。かくして、代価は対価で相殺されて、賃金は「ゼロ」に限りなく近くなる、というのは、当然の帰結である。

かくのごときインターン制度について、わが国では、つい先頃まで、何も問題ない、とされていたのであった。おそらく、「理論上」は、今なお、問題なし、とされているのではあるまいか。

そこで小生が勘ぐるのは、オリヴェットで修士号を得た若者たちは、アンテオケ教会傘下の各企業で、インターン生として、ほんとうに貴重な学びと経験をさせて頂いていて、おそらく、そのために当然要求されてしかるべき代価は、彼らが売却する労働という対価で相殺されるがために、その相殺の程度は、ちょうど良い具合になっているのではあるまいか、ということなのである。

さて、若者たちは、キリストへの純粋な献身と、生命をも惜しまぬ犠牲のために、世界のどこへでも行って、どんな仕事でも、喜んでするであろう。キリストのために新聞記事を書き、キリストのために作詞作曲し、キリストのためにサイトを制作し、キリストのためにサーバーを管理し、キリストのためにグラフィックをデザインし、キリストのために学生伝道に打ち込むのだ。それら「実地」で得られる経験と訓練と人格の陶治は、確かに「インターン」を何年続けてもかまわないと思わせる程、大きな価値あるものに違いない。

そうして、世界への福音宣教を目指す「アンテオケ教会」にとって、これは、願ったりかなったりの「成長モデル」であろう。キャンパス伝道で得た純粋な学生たちに、オリヴェットで修士号を取るよう勧誘して、傘下企業でインターン生として働かせることができるならば、利潤はすべてそのまま、さらなる福音宣教の機会拡大へと投資出来るからである。そこでは、キリストの与えたもうタラントは、一円たりとも無駄にはされない。

アンテオケ・グループの、ここ五年間の急激な成長には、上記のような「秘訣」があったのであろう、と小生は分析する次第である。

さて、ここから先は、小生の妄想の部分である。

いったい、根本主義のキリスト者が、爆発的教会成長モデルを手にしてしまったならば、彼らは、本当に行き着くところまで目指して行ってしまうのである。それはすなわち、福音による世界征服である。

世界征服と行っても、武器で領土を奪取するわけではない。「文化」に進出して、文化の「諸領域」(Dominion)をキリストのために勝ち取って行くのである。すなわち、キリストのためにメディアを勝ち取り、キリストのために芸術を勝ち取り、キリストのためにスポーツを勝ち取り、キリストのために新聞を勝ち取り、キリストのために音楽を勝ち取るのだ。

そのあたりで留まっているのならば、小生は看過もできよう。

しかし、キリストのために政治をも勝ち取ろう、ということになって来ると、これは、一歩間違えば、「キリスト教再建主義」すなわち「セオノミー」の悪夢である。

元来、ディストピア小説やディストピア映画が大好きな小生は、二元論的な宗教者が統治するディストピアについて、あれこれと思いにふけることがある。

で、もし、快進撃を続けるメガチャーチのキリスト教、あらゆる文化の領域に進出して新興企業を設立し続ける根本主義のキリスト教が、万が一にも「セオノミー」を公式教義として採用して、しかも、ほんとうに「地を支配する」寸前まで、行ってしまったら。そこに、いったい、どんなディストピアが出現するのか?

そんなSF小説が、近頃ニュージーランドで発売され、話題になっているらしいのだ。『キングダム・ロスト』である。

「キングダム・ロスト」

そこには、使徒的宗教改革のリーダーが、メガチャーチを通じて、文化はおろか政治まで支配するようになった「教会国家」の悪夢が描かれている。小生はまだ読んでいないのだが、読者感想によれば、ジョージ・オーウェルの『1984』とラヘイの『レフトビハインド』を、掛け合わせたような印象、とのことである。

まあ、ディストピア好きの小生としては、『THX1138』や『恋人たち』で描かれているような世界に、一度住んでみても悪くはない、とは思っているのだが(笑) 

しかし、こんなことをブログで書いていたら、『恋人たち』の世界の場合、すぐさま「ガーディアン・エンジェル」の鬼軍曹に検閲されて、罰として、七房に分かれた鉄の鋲のついたムチで、しこたま叩かれることになるのは、目に見えている。

関連ログ 

「クリスチャン・トゥデイについて」
「再建主義大論争を回顧する」

<以上再掲>




ポスト・スクリプト

いまこうして「キングダム・ロスト」のエントリーを読み返してみると、うーん、と唸らざるを得ないのが、後段の「こんなことをブログで書いていたら、『恋人たち』の世界の場合、すぐさま「ガーディアン・エンジェル」の鬼軍曹に検閲されて、罰として、七房に分かれた鉄の鋲のついたムチで、しこたま叩かれることになるのは、目に見えている」という一文である。

SF作家、フィリップ・ホセ・ファーマーのデビュー作『恋人たち』は、人類と、外見は人類であるがその実は昆虫である女性との異種間恋愛を描いた悲劇であるが、舞台設定がなんと、自称再臨のキリストによって地上に築かれた政教一致のセオノミー(神律)国家「スターチ」なのである(スターチは、ステート〔国家〕と教会〔チャーチ〕の合成語)。ストーリーでは、自称再臨のキリストが『改訂新約聖書』を残して地上を去り、後駆者と呼ばれる「悪魔的人物」との戦いを信仰生活の基本的なモチベーションとする「教会国家」が、すべての個人に「守護天使」と呼ばれる宗教警察官を配置して、間断なく生活を監視しており、違反者には鞭を食らわせるのである。

そこには、私生活というものはなく、また、もちろん、思想や信教や言論の自由といったものは、皆無である。

さて、現実には「教会国家」というようなディストピアは、夢のまた夢のような気がするのであるが、しかし、今回のクリスチャントゥデイの一件で、教会国家ならぬ「教会企業」というごときものが、鞭ではなく名誉毀損裁判の濫用によって、一個人の思想、信教、言論の自由を封殺せんと目論む、という事態が、本当に起こり得ることを、小生は経験させられた。

考えてみれば、ディストピア映画「ブレードランナー」や「ロボコップ」は、国家が弱体化して、企業が統治を行う世界が描かれていたわけだけれども、「教会企業のバビロン化」という神学的テーマも、今後真剣に考究してみなければならぬ課題であろう。

2007年9月15日

クリスチャントゥデイ問題の最近

クリスチャントゥデイ問題をめぐる最近の動きについて、記そう。

(1)世界福音同盟(WEA)総主事の来日。

WEA総主事ジョフ・タニクリフ氏が来日し、日本教界要人と会談したとのこと。これには、WEA寄付金担当者の日系米人ローレンス・ソー・オニシ氏が同伴した模様。このブログで過去にお伝えしたことがあるが、オニシ氏は、ダビデアン(ダビデ張在亨氏を来臨のキリストとして教え込む異端カルト集団の総称)の中核団体「国際ACM」会長や、同じくダビデアン系経済紙『財経新聞』(IBtimes)取締役を務めている、言わば、側近中の側近、弟子中の弟子である。一部の観測筋によれば、ダビデ張氏本人も来日したのではないかとされているが、いまだ確認出来ていない。

今この時期に、いったい何の目的でWEA総主事が来日したのか、明かされていないが、小生としては、日本教界代表側が、張在亨氏統一教会前歴疑惑について、タニクリフ氏に言うべきことを言い、尋ねるべきことを尋ねたものと、信じる。

(2)新たな脱会者との連絡。

脱会者Aさん、Bさん、Cさん、Dさんに加えて、新たにEさん、Fさんが加えられた。潜在的脱会者は他にも多く存在するとの情報も得ている。

新たに判明したことは、ダビデ張在亨氏は、毎週水曜日にサンフランシスコから全世界の弟子たちに向けてネット配信している説教の中で、小生のことを「日本の極悪人」と糾弾しているとのことである。張氏との「公開尋問会」が実現した折りには、小生は、「張さん。あなたは、わたしのことを『極悪人』と説教で何度も名指しで攻撃し、それを全世界にストリーミング放送で配信しているそうですね?」と是非とも尋ねてみたいものだ。

(3)韓国サイドへの事実照会。

近頃2ちゃんねるあたりで、大韓イエス教監理会(イエス・メソジスト教団)のシン・シンモク元監督がダビデ張在亨氏と和解した、とか、CCK(韓国基督教総連合会)異端カルト対策委員の崔三更牧師がダビデ張在亨氏と和解した、などという、出所不明の怪情報が連続して書き込まれた。

シン元監督は、イエス・メソジスト教団の聖化神学校が、如何なる経緯で統一教会の手に渡り、鮮文大学となる至ったかを「公開謝罪文」で明らかにした人。同文書では、統一教会幹部の張在亨氏が陰謀的工作を行ったと記されている。崔三更牧師は、張在亨氏統一教会前歴疑惑の追及の韓国における第一人者で、昨年9月も豪州シドニーで「張氏の疑惑はいまだ解けていない」と講演した人。

もしこの二人が本当に張氏と和解したのなら、事態は急変したことになる。気になった小生は、日韓照会ルートを通じて先方に問い合わせたところ、シン・シンモク元監督も崔三更牧師も、ダビデ張在亨氏と和解したなどという事実は「まったくない」ということが、判明した。

よって、先の怪情報は例によってまたクリスチャントゥデイ工作員の虚偽妄言の類いであろう、と判断することになる。

(4)クリスチャントゥデイの新たな提携先。

このたび、クリスチャントゥデイと××××××卒業生がタイアップして、「×××××××××××××」という宣教団体を立ち上げた。活動の柱は、未信者を対象とした××××・×××××、×××××・××××、××××××、××××××の四点。このうち、××××××の部分で、露出媒体として全面的にクリスチャントゥデイを利用し、そのためのリエゾン(連絡者)としてクリスチャントゥデイ記者の矢田喬大氏が参加している由。

JEAが加盟各団体に通知した文書がいまだ有効であり、かつ、小生がブログで提示した疑惑が日韓キリスト教メディア各社で報じられた現状において、この「×××××××××××××」の立ち上げは、ひとつの冒険的企図(エンタープライズ)である。本来なら、その意気や良し、として、祈りをもって応援したいところではあるけれども、ダビデアンを異端カルトと確信し居る小生は、いかなる企図であれ、ダビデアンが一枚噛むところに対しては、警戒心を解くことが出来ぬ。

これは何も営業妨害などではなく、信教の自由を構成する重要不可欠の要素としての宗教的批判の自由に根拠した、率直な意見表明である。応援なさりたい方は、ご自分の判断に基づいて自由にクリスチャントゥデイなり新宣教団体なりを応援する自由を持っておられるし、またそうした方々は、是が非でも応援しようとしない小生の意見および立場を、信教の自由を構成する重要不可欠な要素としての宗教的批判の自由を大いに活用して、批評し批判する自由をも、持っておられる。

その自由を行使なさる方々には、下記のゲシュタルトの祈りを唱えて、小生はご挨拶申し上げるつもりである。

ゲシュタルトの祈り

Ich lebe mein Leben und du lebst dein Leben.
私は私のために生きる。あなたはあなたのために生きる。

Ich bin nicht auf dieser Welt, um deinen Erwartungen zu entsprechen -
私は何もあなたの期待に応えるために、この世に生きているわけじゃない。

und du bist nicht auf dieser Welt, um meinen Erwartungen zu entsprechen.
そして、あなたも私の期待に応えるために、この世にいるわけじゃない。

ICH BIN ich und DU BIST du -
私は私。あなたはあなた。

und wenn wir uns zufallig treffen und finden, dann ist das schön,
でも、偶然が私たちを出会わせるなら、それは素敵なことだ。

wenn nicht, dann ist auch das gut so.
たとえ出会えなくても、それもまた同じように素晴らしいことだ。

Frederick Perls
フレデリック・パールズ




告知

上記エントリーの第四項につき、2007年10月4日(木)午後10時25分に、一部伏字処置を施した。その理由についてはmakoto.yamaya@salvationarmy.or.jpまでお問い合わせ下されたし。

2007年9月12日

神と虚無

吉祥寺殿のブログのエントリー「心の虚無感と闇」が、インドの聖女マザー・テレサが晩年まで苦しみ続けた<神の不在>の感覚について、綴っている。

「私の信仰はどこへ消えたのか。心の奥底には何もなく、虚しさと闇しか見あたらない。神よ、この得体の知れない痛みがどれだけつらいことでしょうか」という切々とした告白を、聖女は聴罪司祭ヴァンデルピート師に、50年に渡り親展で伝えていたという。それらの手紙が死後に世に明かされるとは、聖女は夢にも思わなかったであろう。

本来、聴罪司祭は聖職守秘義務に従い、手紙を公開することはなかったはずである。しかし、マザー・テレサの列福手続きが異例のスピードで進み、さらに列聖手続きにも入りつつあるので、おそらく、バチカンの「悪魔の検事」から聴罪司祭に公開要請があったとも考えられる。聖人に認定されるには、生前に書き残したメモや手紙や日記や著作や会話記録や証言が洗いざらい集められ、異端的思想のあるやなきや、成聖の恩寵を否定する兆候のあるやなきやが、法務神学者による徹底的な資料批判で確かめられる。それをパスした者のみ、列聖されるのだ。

インドの聖女の場合、「神の不在」という不毛の感覚についての、秘密かつ率直な告白が、彼女の列聖に影響するのであろうか?

カトリックの霊性には、「すさみ」とか「魂の暗夜」とか「霊魂の砂漠」の経験についての豊富な伝統がある。成聖(プロテスタントの場合は聖化)の初期の段階は、それこそ、神との蜜月とも言うべき霊的に高揚した感覚があるのだが、やがてそれは、神の臨在を感じることの出来ない暗いトンネルのような感覚へと移行していくことがある。そうして、十字架の聖ヨハネやアビラの聖テレジアやリジューの聖テレーズなど、多くの聖人が、この霊的無感覚の辛い経験を通らされて来ているのだ。そういう意味では、マザー・テレサも、<過去の聖人の連綿たる系譜に連なる正統>ということになる。

インドの聖女が特別と思われるのは、しかし、彼女の「すさみ」の経験が、50年もの長きに及んだ、ということである。過去の諸々の聖人たちの経験に照らせば、一時的に長期の「すさみ」を味わっても、やがて、トンネルから光へ出る時が来るという。プロテスタントでは、鬱を経験した人に、宗教改革者マルチン・ルターや救世軍創立者ウイリアム・ブース、さらに、聖潔の教師サムエル・ブレングルがいる。彼らにしても、一、二週間もすれば、鬱を脱することが出来た。残念なことに、高倉徳太郎のように、長期に渡る鬱を経験した神学者で、ついに堪え切れず、自ら命を絶ってしまった人もいる。

マザー・テレサの驚異的なところは、そうした「すさみ」を経験しながら、50年に渡って、黙々と神と人への奉仕を続けたことだ。

このような経験を、おそらく、すべてのキリスト者への教訓や模範として一般化することは、間違いであるかもしれない。「すさみ」の長さが、あまりに異例だからである。

しかし、インドの聖女の経験から、われわれキリスト者が得る慰めは、このようなことであろう。

すなわち、自分があまりにも無価値で馬鹿げた存在であり、かつ、神から完全に見捨てられたように感じることがあるとしても、絶望してはいけない、ということだ。マザー・テレサも、その感覚を持っていたからである。インドの聖女は、「わたしは神の御手の中にある、ちびた鉛筆です」と述懐したことがある。小生はこれまで、これはポエティックな表現に過ぎない、と思っていたけれど、ほんとうに彼女は自分がすり減って無になって行く感覚を味わっていたのだ(!) 無になって行く恐ろしさに、もし耐えることができることがあるとすれば、それは確かに、「それでもわたしは神の御手の中に握られている」と信じることが出来たときのみ、あるいは、そう信じようと祈り続けるときのみ、であろう。

ドイツの射祷(小さな祈り)を思い起こした。

Ich bin Nichts, aber Ich bin Sein.
(私は無に等しい、しかし、私はあなたのもの)

神から完全に見捨てられている、という感覚は、インドの聖女だけが抱いたものではない。そもそもの始め、われらの主イエスキリストが、ゴルゴダの十字架の上で、「エリ エリ レマ サバクタニ」(わが神 わが神 なぜわたしをお見捨てになったのですか)と叫ばれた際の経験でもある。

主イエスは、弟子は師にまさる者ではないが、あなたがたは、わたしよりも大きなわざをする、ともおっしゃった。主が十字架と陰府降下において「神からの遺棄」を経験されたのは三日三晩であった。これは、文字とおり完全な意味での神からの遺棄であって、主は本当に神から捨てられたのである。インドの聖女の場合、彼女はその不毛な感覚において、神から遺棄されたかのごとく感じていたのだが、実際には神は彼女を捨ててはいなかった。それゆえ、主の経験と聖女の経験と、本質的相違がそこにあるのだけれども、人間を「官能的存在」と考えた場合には、主が三日三晩経験されたその感覚を、聖女は50年間経験したことになる。まさに、主が「あなたがたは、わたしよりも大きなわざをする」と言われた通りである。

もし自分が、このような「すさみ」を通らされたとき、あの高倉徳太郎のように「トンネル通過中の列車から飛び降りる」ようなことを、してしまわないものだろうか? これは、未知の経験であるから、自分には何とも言えないが、どうか願わくは、主が小生を末っ子ベンヤミンのごとく甘やかして育ててくださって、いつも、つねに、たえず、甘美な主の臨在の中に生きさせて頂きたいものである。

それにしても、小生は以前、下記のような詩を書いたことがあったが、誰に献呈したものでもなかった。しかし、今は、この詩をインドの聖女に献げることが、最もふさわしかろう、と思う次第。

空虚な心

耐えられないほどに空虚な心
何をもってしても埋められない
魂の冷え切った石で出来た隙間

それがなくなればいい
何度そう願ったことか

でもそれは
なくなってはならないものなのだ
ということに
気付かされました

耐えられないほどに空虚な心

そこは
あなたが来てくださるために
特別に取っておかれた
聖なる場所

あなたが来て座って下さるために
まさにそのために
何によっても埋められることがないよう
いつまでも、ずっと、からっぽのままにされている
心の椅子

心の扉を開いて
あなたのおいでを待ちましょう

からっぽの自分のままで
それを覆い隠そうとはしないで

虚ろな自分を、ありのままに
あなたの前に投げ出しましょう

あなたが満たして下さるために
空虚なわたしが、ここにいます

わたしが空虚であるゆえに
あなたが満ちて下さいます


関連記事「ヨハネ16:7-11についての断想」

2007年9月9日

ローマ8:12-17「アバ、父よ!」


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救世軍杉並小隊(教会)での9月9日(日)の説教をアップロードしました。

聖書 ローマ8:12-17
説教題 「アバ、父よ!」

救世軍杉並小隊では、毎週日曜日の午前10時30分から、キリスト教の礼拝を行っています。みなさまのおいでを心から歓迎いたします。

場所 東京都杉並区和田2-21-39
電話 03-3384-9443
交通 東京メトロ「中野富士見町」下車 徒歩15分
(救世軍ブース記念病院のとなりにあります)
メール makoto.yamaya@salvationarmy.or.jp

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Summary

Sermon Podcasting from The Salvation Army Suginami Corps on Sunday 9 September 2007.

Scripture: Romans8:12-17
Title: Abba, Father!



2007年9月6日

本日のブログ読み

ブログ「随想 吉祥寺の森から」の昨日付の記事「ブッシュ バグダッドに激励に」を読んで非常に驚いたのだが、海上自衛隊が対イラク戦争支援のために合衆国海軍艦艇に対して行って来たインド洋上給油は、「テロ特措法」の厳密な解釈に基づくならば、<脱法行為>にあたるだろう、というのである。

小生は、この「テロ特措法」すなわち、正式名称を「平成十三年九月十一日のアメリカ合衆国において発生したテロリストによる攻撃等に対応して行われる国際連合憲章の目的達成のための諸外国の活動に対して我が国が実施する措置及び関連する国際連合決議等に基づく人道的措置に関する特別措置法」という平成13年11月2日法律第113号(外事法)が、対タリバンのアフガン戦争を<国連決議に基づいて側方支援する>ために制定された時限立法であって、元来対イラク戦争とは全然関係ない、ということを、これまで不明にして知らなかった。

早速外務省のデータベースで法律の条文を読んでみれば、冒頭まず国連安全保障理事会決議1368号、1267号、1269号、1333号を挙げて、これら国際社会の正式な意志決定、つまり「国際法」を、わが国の「国内法」において敷衍実行するのが、法の趣旨である、と宣言されている。

その上で、国連憲章に基づく諸外国の軍事行動すなわち「多国籍軍」に対する側方支援を、わが国の軍事力たる自衛隊をして可能ならしめるものであることが、述べられている。

焦眉は、冒頭掲げられた四つの安保理決議だ。

軍事力を持たず、軍事力を行使せず、という建前の憲法を持つわが国が、現実の軍事力たる自衛隊を主権領域外に派遣して、友軍への側方支援を実施する、という<超憲法的アクロバット>を法理上可能ならしめているのは、ひとえに、国際社会の正式な意志決定たる「国際法」としての安保理決議の正当性にかかっている。

で、四つの安保理決議はいずれも、2001年9月11日の米国同時多発テロの首謀者たるタリバンに対して、国際社会が共同で決起して対抗せよ、という命令となっている。

1267号は、タリバンをテロリストと名指して、国際社会に対抗措置を取るよう命じ、かつ、それが不首尾に終わった場合に、国連憲章に基づく次の段階、すなわち、軍事行動への道を開くものである。

1333号は、アフガニスタン国内におけるタリバンの統治行為の正統性に疑問をつきつけ、麻薬生産やテロリスト訓練キャンプ等々の問題が是正されなければ、いよいよ国連憲章に基づいて、軍事行動が検討段階に入ることを予告している。

1368号は、米国同時多発テロの首謀者たるテロリストとその支援者に対して、国際社会が集団的自衛権を行使すること、すなわち、多国籍軍による軍事行動に踏み切ることを、警告している。

以上の安保理決議に根拠して、合衆国や連合王国の軍事力を中心に多国籍軍が編成され、対アフガン戦争が着手されたわけである。

さて、わが国の憲法は、軍事力を持たず、軍事力を行使せず、という建前であるものの、不文の慣習法、すなわち、自然的自衛権にもとづいて、専ら主権領域内での自衛戦争に従事させる目的で、「自衛隊」を保有して来た。

しかし、タリバンのテロ活動による脅威に対して、国際社会が一致団結して事にあたる、という時局にあっては、すみやかに憲法を改正して、成文の議会法、すなわち、集団的自衛権にもとづいて、わが国が、主権領域外で友軍を支援することを可能にしなければならぬ。。。というのが、合衆国からの強い要望である。

政権与党は、とてもとても現状では憲法を改正するだけの権力を、国民から信託されていないのだから、合衆国の要望に応えることは、無理。

そこで、苦肉の策として、先述の四つの安保理決議すなわち「国際法」を「国内法」において敷衍実行するという<かたち>で、「テロ特措法」が時限立法されたのだ。

問題なのは、四つの安保理決議が、厳密な限界を有する国際法であって、それによって実行可能なことは、多国籍軍をしてアフガンにてタリバンの支配領域から住民を解放し、麻薬生産を撲滅し、テロリスト訓練キャンプを掃討し、テロ首謀者を逮捕処罰する、というところ<まで>である。

そうして、現在合衆国が主体となって戦っている対イラク戦争は、<これ>と全然関係がない。

イラクをめぐっては、安保理は「大量破壊兵器の査察を受け入れなければ深刻な事態になる」との決議を行っていたけれども、イラクは態度を変え、国際査察団を国内に受け入れて、その結果、 国連監視検証査察委員会(UNMOVIC)と国際原子力委員会(IAEA)からの中間評価では「イラクが国連決議に違反したと疑われるような証拠、痕跡はない」との報告が安保理に提出された。

しかし、合衆国は査察が不十分であるとし、独自調査による大量破壊兵器の存在の証拠を、安保理に報告した。矛盾する二つの報告をめぐって、理事国間の議論は紛糾し、多国籍軍による対イラク攻撃を許可する安保理決議が成立する見込みは、全く絶えた。

そこで、合衆国は、安保理決議<なし>で、独自に開戦を決断したのである。

つまり、対アフガン戦争が安保理決議に根拠した戦争であるのに対して、対イラク戦争は安保理決議に根拠しない戦争なのだ。

そうして、対アフガン戦争用の安保理決議に根拠した「テロ特措法」が、対イラク戦争用の側方支援に使えぬことは、法理上明らかであろう。

一方、わが国は「イラク特措法」をも制定したのだけれども、こちらは、戦後の国家再建を支援する目的で、専ら人道支援と安全確保を遂行するために、イラク国内の非戦闘地域に限って、自衛隊が活動することを可能にしたものである。これが、公海上での友軍艦艇への給油活動に使えぬことは、やはり、法理上明らかだ。

そこで、政府としては、海上自衛隊がインド洋上で友軍艦艇に給油しているのは、あくまで対アフガン戦争側方支援のためである、と説明し続けるのでなければならない。そうして、給油を受けた友軍艦艇が、アフガンではなくイラクに向うのであれば、政府には更なる説明責任が求められることになる。スポークスマンとしては、何という名の友軍艦艇が、洋上のどの位置で給油を受けて、何処に向って行ったかは、すべて軍事機密であるため、漏らせない、と、つっぱねるしか、あるまい。

しかし、つっぱねられなかったとき、そうして、給油を受けた友軍艦艇がイラクの領海内で作戦行動を実施していることが明らかになった場合には、一大事となる。

なぜなら、これだと、憲法上の規定を持たない軍事力が、主権領域外において、国際法にも国内法にも根拠せずに、活動している、ということになってしまうからである。

この事態を旧軍法務部だったら、どのように評価するであろう? 陛下に専属する統帥権のもとに軍隊が動いていた、あの大雑把な時代であっても、軍法務部は常に国際法と国内法と作戦命令たる戦闘序列との適合一致を研究し続けていた。ましてや今は、シビリアン・コントロールの時代である。すなわち、成文法が完全に軍事行動をコントロールしなければならない、という絶対原則なのだが、どうも考えれば考えるほど、そうなっていないのではないか、と思わざるを得ない。

いったいどうするつもりなのだろうか。。。

2007年9月5日

本日のネットサーフィン

最近、ある人から勧められて、恵泉塾の水谷恵信氏という人の説教を聞いた。

聞きながら、既成教会批判と言い、カリスマ体験重視と言い、なんとはなしに小生は、手島郁郎氏に類似したイメージを抱いた。

そこで、早速Google検索で調べて見ると、水谷氏が師と仰ぐ人が、小池辰雄氏であって、内村鑑三の無教会グループの独立伝道者であった小池氏が1950年代初頭にカリスマ体験をして、日本キリスト召団という教団を設立したことが判った。小池氏が説く「無者キリスト」という論は、おのれを無にしたとき、無限の聖霊が心中に圧倒的に流れ込む、というダイナミックかつ禅に通じる教えであったらしい。興味深いことに、小池氏がカリスマ体験をした1950年代初頭には、原始幕屋の手島郁郎氏と協働していた由。小池氏が指導したグループも、その当時は「幕屋」と称したり、あるいはその集会を「講筵」と呼んだようである。その後両者は分かれたようであるが、手島氏が地方系無教会カリスマ運動であったのに対して、小池氏は東大系無教会カリスマ運動とでも言うべきものであったようである。

さて、小池氏について、あれこれ調べていると、あのオスカー・クルマンの古典的名著『キリストと時』を日本語に訳した新約学者・前田護郎氏もまた、無教会グループの独立伝道者であった、ということを知った。恥ずかしいことだが、この点、小生は今日に至るまで全く不明であった。内村鑑三記念講演会の講師一覧表を見ていると、手島郁郎氏や小池辰雄氏や前田護郎氏らが名前を連ねているのは、いかにも興味深い。しかし、前田護郎氏は、宗教史学的アプローチを好まれたらしく、1950年代に吹き荒れた無教会カリスマ運動とは距離を置かれたもののようである。

びっくりしたのは、小生が成蹊大学時代に「比較宗教学」を教わった神話学者・吉田敦彦教授が、その若き頃、前田護郎氏の勧めを受けて、キリスト教神話と地中海の密儀宗教神話との比較をテーマにした修士論文をフランス語で書き、1959年にフランス政府の給費留学生としてストラスブール大学に留学した、ということである。ストラスブール大学と言えば、オスカー・クルマンが教鞭を振るった場所だ。

小生が吉田敦彦教授から教わったのは、焼畑農耕文化圏の「女神殺害」の豊穣神話のモチーフが、日本の破損土偶や「記紀神話」や「はなさかじじい」などの昔話の中に、いかに認められ得るか、という論。女神殺害の具体例として、パプアニューギニア高地人の「ハイヌウェレ」の残酷な儀式のことを聞いたが、その描写たるや、朝一番の時限にしては、実に凄まじきものがあった。小生に、古代世界及び先史世界の「暗黒面」を認識させた名講義である。

さて、ネットサーフィンが最後に辿り着いたのは、吉田敦彦教授の学究心を方向付けた前田護郎氏を始め、先の小池辰雄氏などから、東西の学者、さらに、古代教父に至るまで、縦横無尽に論じ尽くし、語り尽くしている「会津人」マーク・ダブリュー・ウォーターマン氏のブログである。この人はなんと、フラー神学校大学院の神学教授だ(フラー神学校と言えば、あの張在亨氏が「インターネット宣教学会理事長」に就任しているところであって、小生はいつか同校に事実照会をしたことがあったのだけれども、ついに返事は得られなかった)。

http://markwaterman.blogspot.com/

このウォーターマン氏の説明によれば、前田護郎氏はマールブルク大学で学位を得たのだという。マールブルクと言えば、『新約聖書における支配と権威』で天使的諸力を解明した、かのハインリッヒ・シュリーアが、ハイデッガーに学んだところである。時間的に言って、前田護郎氏はハインリッヒ・シュリーアと、マールブルクに一緒に居たことがあったのか知らん。

小生の本日のネットサーフィンは、ここで終わったのだけれども、これで、道理で腑に落ちた。

というのも、一番最初に挙げた、あの水谷恵信氏が、カリスマ体験を尊重する説教をしながらも、その聖書研究ノートには、NTDすなわち『ノイエン・テスタメント・ドイチュ』(ドイツ新約聖書注解)を一番に挙げていることに、小生は「???」と感じていたのだ。

しかし、水谷氏が、東大系無教会カリスマ運動の小池辰雄氏の弟子にして、かつ、1950年代の無教会が、前田護郎氏の「新約学」のようなアカデミックな雰囲気を持つものであれば、納得は行く。すなわち、リベラルな聖書学がカリスマ体験に遭遇した結果のひとつとして、手島氏の原始幕屋が。そのまたひとつとして、小池氏のキリスト召団が。そのさらにまたひとつとして、水谷氏の恵泉塾が。形成された、ということである。

スピリチュアリティーの研究としては、大いに関心を引く。というのも、根本主義者にしてカリスマ体験に遭遇した小生にとっては、「かれ」はちょうど、鏡の対を成す位置にあるからである。

2007年9月2日

ルカ10:25-37「わたしの隣人とはだれか」


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救世軍杉並小隊(教会)での9月2日(日)の説教をアップロードしました。

聖書 ルカ10:25-37
説教題 「わたしの隣人とはだれか」

救世軍杉並小隊では、毎週日曜日の午前10時30分から、キリスト教の礼拝を行っています。みなさまのおいでを心から歓迎いたします。

場所 東京都杉並区和田2-21-39
電話 03-3384-9443
交通 東京メトロ「中野富士見町」下車 徒歩15分
(救世軍ブース記念病院のとなりにあります)
メール makoto.yamaya@salvationarmy.or.jp

iPodとiTunesを使っている方は、iTunesのメニューから「詳細設定」→「Podcastを登録」と進み、出て来たダイアログボックスに、このブログのRSSアドレス http://feeds.feedburner.com/MajorMak をコピペして、OKボタンをクリックしてください。iTunesがオンライン環境にあれば、即座に最新コンテンツのダウンロードが開始されます。

Summary

Sermon Podcasting from The Salvation Army Suginami Corps on Sunday 2 September 2007.

Scripture: Luke10:25-37
Title: Who is My Neighbour?